#79 山城歩こう会(第246回)参加   【高槻 今城塚古墳及びその他の古墳群】

2018.07.24(火) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
5 時間 47
休憩時間
1 時間 30
距離
10.6 km
のぼり / くだり
283 / 258 m
5
23
2

活動詳細

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#79 山城歩こう会(第246回)参加   【高槻 今城塚古墳及びその他の古墳群】 ウォーク距離 10.6 km   本日は、ソロでなく「山城歩こう会」にジョインしました。 朝から日差しが強く、37℃以上になることを覚悟して歩き始めました。 今城塚古墳(いましろづかこふん)は6世紀前半に築造された前方後円墳。 埴輪祭祀区には出土した埴輪のレプリカが並べられ、埴輪による古代の祭祀の様子が再現されているのが壮観な眺めでした。宮内庁は今城塚古墳を継体天皇の陵墓と治定していないため、誰でも実際に墳丘にのぼることができるのは嬉しいです。 今城塚古墳の横に併設されている古代歴史館は、先日の北部地震の影響を受けて閉館でしたが、一部実際の埴輪見ることができ、エントランスにて一服しました。 高槻の町を歩き始めると、北部地震の被害を受けた家屋が多々見ることができました。郡家車塚古墳近く通過して水天宮遥拝所に寄りました。この遥拝所は弁天池の対岸にある祠(水天宮)を拝むためのもので、祠の正面が池に面しており、直接お参りすることが難しいため、遥拝所の窓から参拝しました。遥拝口から水天宮を覗くとお金がたまるとか。。。 闘鶏山古墳と番山古墳の近く通過して、史跡新池ハニワ工場公園に着きました。新池東側の丘陵上に展開する最古・最大級のハニワ工場跡でした。 ここで、昼食休憩しました。 休憩後、塚原古墳群ルートを通らずに、一路阿武山古墳を目指しました。 ここの古墳を藤原鎌足の墓とする説が湧き上がっているとか。。。ロマンですね!! 阿武山登頂は、時間の関係で諦め安威バス停に行き、例会後四条河原町のミュンヘンでビアパーティーを開催し楽しみました。     JR摂津富田駅-今城塚古墳-古代歴史館見学-郡家車塚古墳近く通過-水天宮遥拝所-闘鶏山古墳近く通過-番山古墳近く通過-新池ハニワ工場公園-阿武山古墳-阪急安威バス停     本日の出発から帰宅までの歩数: 23,893歩 歩行中の補給水分: 2.5リットル   【今城塚古墳】 近年、今城塚古墳の名を耳にした人も多いのではないでしょうか。高槻市にある今城塚古墳は、継体天皇の真の陵墓であるとする有力な学説もある、巨大な前方後円墳です。2011年に完了した復元・整備事業により、古墳とその周辺はかつての壮大さを取り戻しており、大王クラスの人物を埋葬した古墳の実態を学ぶのに、格好のスポットとなっています。 https://www.travel.co.jp/guide/article/2808/   【古代歴史館】 今城塚古代歴史館では三島古墳群の概要をはじめ今城塚古墳の発掘調査で判明した、古墳づくりのさまざまな工夫を実物大のジオラマ模型や映像も用いながら解説しています。実物の埴輪や豊富な出土品を通じて歴史遺産ネットワークの拠点としてさまざまな情報を発信する、歴史体験と学習の場です。 https://takatsuki-scramble.com/imashiro-rekishikan/ http://www.city.takatsuki.osaka.jp/m/rekishi_kanko/rekishi/1367283062715.html   【史跡闘鶏山古墳】 史跡闘鶏山古墳は、平野に突き出た丘陵先端部にある、全長86.4メートルの前方後円墳です。 平成14年の確認調査によって後円部から未盗掘の竪穴式石室2基が発見され、大きな話題になりました。石室内部のファイバースコープ調査では三角縁神獣鏡(さんかくぶち しんじゅうきょう)や石製腕飾り、木棺の一部などが確認され、4世紀前半の三島の王墓と考えられています。 墳丘の段築や葺石、さらに平野に向かって開けた周辺の丘陵地形もよくのこっており、古墳の祭祀や古墳時代の解明に向けて、極めて重要な古墳です。 http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/jidai/kofun/1327658514900.html     【番山古墳】 古墳の長さ56m、墳丘の高さは7m。前塚古墳と同じく帆立貝形古墳である。埴輪などの出土物から推定してこの古墳は5世紀中頃の築造とされている。 溜め池の反対側は水田に囲まれており、農繁期に訪れるとまるで水田の中に浮いているように見える。 出土物は倭製鏡片、弓、鉄刀、など。すぐ近くには新池遺跡(ハニワ公園)があり、古墳築造必要な埴輪の運搬は容易だったろう。ちなみにこの古墳と前塚古墳は製造方法などで一致する点が多く、何らかの関係があったものと思われているようだ。 http://www.marchenchapel.jp/outdoor_na_hibi_kofun_banyama.html http://www.y-morimoto.com/kofun/banyama.html     【史跡新池ハニワ工場公園】 高層住宅群の一画に再現された古代のハニワ工房と窯跡群。 史跡新池ハニワ工場公園は、新池東側の丘陵上に展開する最古・最大級のハニワ工場跡を整備し、マンガ陶板や復元ハニワを通して、楽しく古墳時代やハニワづくりのようすが学べるところです。 http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/shisetsu/1327317816926.html     【阿武山古墳】 大阪府の高槻市。継体天皇陵とされる「今城塚古墳」から北北西の方角に、阿武山(海抜281.1m)と呼ばれる山がある。その麓の、茨木市大字安威(あい)および高槻市奈佐原(なさはら)にまたがる場所に、阿武山古墳(あぶやまこふん)がある。 現在では山麓まで住宅が密集し、山腹の一部もえぐられたように宅地が開発されている。山頂付近に、地震観測所の高い塔を持つ建造物があるので、すぐにわかる。この古墳は、昭和9年(1934)、京都大学阿武山地震観測所の施設拡張工事によって発見され、京都大学の梅原末治氏らによって発掘調査が行われた。古墳時代終末期の古墳で、直径約80m、石室は花崗岩の切石とレンガで造られ、内側は漆喰を塗り、中央に棺台があった。台上には麻布を漆で固めてつくった夾紵棺(きょうちょかん)が置かれ、棺内には60歳前後の男性人骨が横たわり、頭部には、ガラス玉を銀線で連ねて錦で包んだ玉枕が置かれていた。 発見当時「貴人の墓」として注目を集め、墓室の規模や構造、特殊な埋葬形態から、被葬者は相当な地位にあった人物と考えられ、「藤氏家伝」には、藤原鎌足は「大化の改新」(645年)の前年に三島の地に隠棲しており、669年山科精舎に埋葬後、阿武山、そして多武峯へと改葬されたと伝えられていて、ここを藤原鎌足の墓とする説が沸き起こった。昭和58年に国指定史跡となった。 http://inoues.net/ruins/abuyama_kofun.html http://www.y-morimoto.com/kofun/abuyama.html    

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