石造遺物ハイキング第18弾 北田原とおまけ

2018.09.11(火) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
4 時間 8
休憩時間
0
距離
12.1 km
のぼり / くだり
354 / 373 m
2 47
1 17

活動詳細

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この地域は生駒山でいいのでしょうか。交野山の範疇のような気もするのですが、境目なのでどちらでもいいのでしょうね。磐船街道の生駒市最北まで行ったので、おまけとして八丁岩に行ってみました。これが大きな間違いで、倒木に苦しめられてしまいました。まあ何とか行けました。帰りにそれこそおまけで四條畷市田原地区の面白い道標の紹介をしています。 説明に出てくる数字は例によって「石造遺物調査報告書」の資料番号です。 これまでのマップをご覧になるには私のサイトからご覧下さい。 http://www1.kcn.ne.jp/~fmikami/sekizoibutu/ibutuhiking.html

生駒山・神津嶽・大原山 今日は南田原の出店から出発しようと思ったのですが、先日の住吉神社の立ち入り禁止が気になっていたので行ってみました。台風の影響だったようです。今日は入れます。
今日は南田原の出店から出発しようと思ったのですが、先日の住吉神社の立ち入り禁止が気になっていたので行ってみました。台風の影響だったようです。今日は入れます。
生駒山・神津嶽・大原山 大木がなぎ倒されています。参道に散乱していたと思われる枝などはすでにきれいに片付けられていました。
大木がなぎ倒されています。参道に散乱していたと思われる枝などはすでにきれいに片付けられていました。
生駒山・神津嶽・大原山 本殿も狛犬も無事のようです。
本殿も狛犬も無事のようです。
生駒山・神津嶽・大原山 すぐ北の稚桜碑の由来も気になっていたので、寄ってみました。碑の裏に回ると詳細に由来が記されていました。昭和32年、大阪高津高校に通学していた女子高校生が18歳で交通事故にあったのだそうで、それを悼む碑です。
すぐ北の稚桜碑の由来も気になっていたので、寄ってみました。碑の裏に回ると詳細に由来が記されていました。昭和32年、大阪高津高校に通学していた女子高校生が18歳で交通事故にあったのだそうで、それを悼む碑です。
生駒山・神津嶽・大原山 その北の自然石種子碑も写真が悪かったので再撮影。
その北の自然石種子碑も写真が悪かったので再撮影。
生駒山・神津嶽・大原山 今まで気付きませんでしたが、バス停北の広場にはこんな名前が付けられていました。しかし、「小雀広場」なら土俵がいるんじゃないのかな。
今まで気付きませんでしたが、バス停北の広場にはこんな名前が付けられていました。しかし、「小雀広場」なら土俵がいるんじゃないのかな。
生駒山・神津嶽・大原山 出発点に予定していたシントンドを横目で通り過ぎます。
出発点に予定していたシントンドを横目で通り過ぎます。
生駒山・神津嶽・大原山 さて、今日最初の紹介は岡村のモリ(289)なのですが、個人の敷地内なんですね。上の道から撮った写真ですが、燈籠があることがわかります。
さて、今日最初の紹介は岡村のモリ(289)なのですが、個人の敷地内なんですね。上の道から撮った写真ですが、燈籠があることがわかります。
生駒山・神津嶽・大原山 燈籠北に細道があるのですが、そこからも燈籠しかわかりません。その下にいくつかの石像遺物があるのですが・・・このお宅の所有者は物故していて滅多にご家族に会えません。いらっしゃれば見せてくれとお願いできるのですが・・・
燈籠北に細道があるのですが、そこからも燈籠しかわかりません。その下にいくつかの石像遺物があるのですが・・・このお宅の所有者は物故していて滅多にご家族に会えません。いらっしゃれば見せてくれとお願いできるのですが・・・
生駒山・神津嶽・大原山 白庭台に少し回ってやまのたに公園です。この遊具の右から少し下ると殉難碑です。
白庭台に少し回ってやまのたに公園です。この遊具の右から少し下ると殉難碑です。
生駒山・神津嶽・大原山 室戸台風殉難碑です。昭和9年(1934)北倭村立第四尋常小学校の校舎が倒壊、45名の児童が下敷きになり、6名死亡、14名が重傷という惨事だったそうです。死亡した6名が記銘されています。
室戸台風殉難碑です。昭和9年(1934)北倭村立第四尋常小学校の校舎が倒壊、45名の児童が下敷きになり、6名死亡、14名が重傷という惨事だったそうです。死亡した6名が記銘されています。
生駒山・神津嶽・大原山 田原地区に戻ってきて岡村墓地です。
田原地区に戻ってきて岡村墓地です。
生駒山・神津嶽・大原山 棺台、リストに記載無し。
棺台、リストに記載無し。
生駒山・神津嶽・大原山 お堂にいる仏様のうち右の阿弥陀様(290)だけがリストにあります。
お堂にいる仏様のうち右の阿弥陀様(290)だけがリストにあります。
生駒山・神津嶽・大原山 この中に291の舟形五輪塔があるはずなのですが、どれがどれやら。
この中に291の舟形五輪塔があるはずなのですが、どれがどれやら。
生駒山・神津嶽・大原山 六地蔵様も記載無し。普通はお出迎えなのですが、墓地後方から入ったため、お見送りになりました。ここまでは南田原地区です。
六地蔵様も記載無し。普通はお出迎えなのですが、墓地後方から入ったため、お見送りになりました。ここまでは南田原地区です。
生駒山・神津嶽・大原山 国道163の北で北田原になります。まず一番南の南佐越墓地へ向かいます。こんな所を登ります。
国道163の北で北田原になります。まず一番南の南佐越墓地へ向かいます。こんな所を登ります。
生駒山・神津嶽・大原山 舟形五輪塔が291で記載されているのですが、どれかわかりません。292の西国三十三所供養碑像は墓地下としてありますが、見当たりません。結局墓地しかわからない。
舟形五輪塔が291で記載されているのですが、どれかわかりません。292の西国三十三所供養碑像は墓地下としてありますが、見当たりません。結局墓地しかわからない。
生駒山・神津嶽・大原山 296から299の城山頂上としてある遺物は頂上に登ってもありません。支尾根の中腹です。しかし倒木で通れない。手前左の急斜面を直登して目的地に到着しました。
296から299の城山頂上としてある遺物は頂上に登ってもありません。支尾根の中腹です。しかし倒木で通れない。手前左の急斜面を直登して目的地に到着しました。
生駒山・神津嶽・大原山 遺物のある広場です。なかなか豪快な倒れ方です。遺物を直撃しないで幸い。
遺物のある広場です。なかなか豪快な倒れ方です。遺物を直撃しないで幸い。
生駒山・神津嶽・大原山 燈籠右の面白い形の石が自然石大峰山登拝碑(298)、燈籠と登拝碑の間の小さい圭頭状碑が西国三十三所順礼碑(296)。
燈籠右の面白い形の石が自然石大峰山登拝碑(298)、燈籠と登拝碑の間の小さい圭頭状碑が西国三十三所順礼碑(296)。
生駒山・神津嶽・大原山 右方の面白い形は自然石西国三十三所順礼碑(299)
右方の面白い形は自然石西国三十三所順礼碑(299)
生駒山・神津嶽・大原山 左上で転がっている三角の石も自然石西国三十三所順礼碑(297)、他の小遺物も倒れています。
左上で転がっている三角の石も自然石西国三十三所順礼碑(297)、他の小遺物も倒れています。
生駒山・神津嶽・大原山 ここから真の山頂に向かい、城跡を見てから尾根伝いに佐越墓地へ向かう予定でしたが、この有様、城跡と言っても何もないしやめて引き返すことにします。さっきの急斜面を下るのがちょっと嫌ですが、登るよりましだろう。
ここから真の山頂に向かい、城跡を見てから尾根伝いに佐越墓地へ向かう予定でしたが、この有様、城跡と言っても何もないしやめて引き返すことにします。さっきの急斜面を下るのがちょっと嫌ですが、登るよりましだろう。
生駒山・神津嶽・大原山 引き返して登り口まで降りてきました。右手に登る坂がルートです。なかなか入りにくいですよ。
引き返して登り口まで降りてきました。右手に登る坂がルートです。なかなか入りにくいですよ。
生駒山・神津嶽・大原山 佐越墓地へ普通のルートから進みます。途中にこんなものがあります。個人の敷地のようですが、庭と言うことではありません。(人の住んでいる家屋はありません。)この付近の遺物を集めてある感じです。
佐越墓地へ普通のルートから進みます。途中にこんなものがあります。個人の敷地のようですが、庭と言うことではありません。(人の住んでいる家屋はありません。)この付近の遺物を集めてある感じです。
生駒山・神津嶽・大原山 佐越墓地です。まずは六地蔵(294)。
佐越墓地です。まずは六地蔵(294)。
生駒山・神津嶽・大原山 墓石でなく木製墓標を建てたお墓が並んでいます。墓石を建てるお金がないということではないようです。
墓石でなく木製墓標を建てたお墓が並んでいます。墓石を建てるお金がないということではないようです。
生駒山・神津嶽・大原山 小堂には阿弥陀様(293)
小堂には阿弥陀様(293)
生駒山・神津嶽・大原山 棺台(295)
棺台(295)
生駒山・神津嶽・大原山 下ってきて中佐越の小堂です。
下ってきて中佐越の小堂です。
生駒山・神津嶽・大原山 堂内には阿弥陀様(300)、何とも可愛い脇侍が控えています。子供と仲良しの仏様のようです。
堂内には阿弥陀様(300)、何とも可愛い脇侍が控えています。子供と仲良しの仏様のようです。
生駒山・神津嶽・大原山 北に進んで川にぶつかり、左岸(南)を西へ進みました。これは今まで気付いていませんでしたが、大峯山登拝記念碑のようです。
北に進んで川にぶつかり、左岸(南)を西へ進みました。これは今まで気付いていませんでしたが、大峯山登拝記念碑のようです。
生駒山・神津嶽・大原山 橋のたもとに道標(301)
橋のたもとに道標(301)
生駒山・神津嶽・大原山 この道標は高山庄田の道標と同じく北面に仏様が彫り込まれているようですが、摩滅して姿がわかりません。川向かいの辻にはもう一基道標があったはずですが見当たりません。「生駒の古道」ですでに無しとしてありますし、報告書に記載がありません。。
この道標は高山庄田の道標と同じく北面に仏様が彫り込まれているようですが、摩滅して姿がわかりません。川向かいの辻にはもう一基道標があったはずですが見当たりません。「生駒の古道」ですでに無しとしてありますし、報告書に記載がありません。。
生駒山・神津嶽・大原山 次は生玉寺ですが、道路に面して植え込み陰に3基の石造遺物があります。右が308の圭頭状三十三所順礼碑、その左も306の順礼碑。
次は生玉寺ですが、道路に面して植え込み陰に3基の石造遺物があります。右が308の圭頭状三十三所順礼碑、その左も306の順礼碑。
生駒山・神津嶽・大原山 左端も307の圭頭状三十三所順礼碑、3基とも見えにくい。
左端も307の圭頭状三十三所順礼碑、3基とも見えにくい。
生駒山・神津嶽・大原山 山門右には方柱状六字名号碑(305)、リストにあるものですぐ見つかるのはこれだけ。
山門右には方柱状六字名号碑(305)、リストにあるものですぐ見つかるのはこれだけ。
生駒山・神津嶽・大原山 本堂ですが、他の石造遺物は本堂左の狭いところを入ります。トイレがあってその裏に遺物が並んでいます。
本堂ですが、他の石造遺物は本堂左の狭いところを入ります。トイレがあってその裏に遺物が並んでいます。
生駒山・神津嶽・大原山 石龕阿弥陀・地蔵二尊像(303)
石龕阿弥陀・地蔵二尊像(303)
生駒山・神津嶽・大原山 方柱状六字名号碑(304)
方柱状六字名号碑(304)
生駒山・神津嶽・大原山 塀際が線刻一尊像(302)、摩滅して仏様がわかりにくい。
塀際が線刻一尊像(302)、摩滅して仏様がわかりにくい。
生駒山・神津嶽・大原山 リスト309で宝塔残欠があげてあります。今まで逸失と思ってきたのですが、どうもこれのようです。ほとんど埋もれている。
リスト309で宝塔残欠があげてあります。今まで逸失と思ってきたのですが、どうもこれのようです。ほとんど埋もれている。
生駒山・神津嶽・大原山 大角(おおすみ)862番地小堂(311)です。
大角(おおすみ)862番地小堂(311)です。
生駒山・神津嶽・大原山 小堂内の一尊像
小堂内の一尊像
生駒山・神津嶽・大原山 路傍に燈籠があります。リストにはありません。
路傍に燈籠があります。リストにはありません。
生駒山・神津嶽・大原山 突然八丁岩に行くことを思いつきました。普通はもう少し前の分岐から入るのですが、突然思いついたので畑の道を通りました。私が通ったのは右の道、普通は左の道からやってきます。
突然八丁岩に行くことを思いつきました。普通はもう少し前の分岐から入るのですが、突然思いついたので畑の道を通りました。私が通ったのは右の道、普通は左の道からやってきます。
生駒山・神津嶽・大原山 林に入って、里に下る道との分岐の先が倒木で通行不能、その里に下る道を少し進んで、斜面を上って迂回するという手段で通過しました。
林に入って、里に下る道との分岐の先が倒木で通行不能、その里に下る道を少し進んで、斜面を上って迂回するという手段で通過しました。
生駒山・神津嶽・大原山 迂回通過して振り返ると、左に通れそうな隙間がありました。こちらが楽だったか。
迂回通過して振り返ると、左に通れそうな隙間がありました。こちらが楽だったか。
生駒山・神津嶽・大原山 その先は問題なく溜池下までたどり着きました。この階段を登り、溜池西の尾根を進みます。
その先は問題なく溜池下までたどり着きました。この階段を登り、溜池西の尾根を進みます。
生駒山・神津嶽・大原山 この辺は余裕で写真など撮っておりますが、だんだんひどくなります。
この辺は余裕で写真など撮っておりますが、だんだんひどくなります。
生駒山・神津嶽・大原山 大木が根こそぎです。逆側に倒れていたら通れなかった。この先はかなりひどく通過が大変で写真を撮る気になりません。
大木が根こそぎです。逆側に倒れていたら通れなかった。この先はかなりひどく通過が大変で写真を撮る気になりません。
生駒山・神津嶽・大原山 何とか八丁岩までたどり着きました。
何とか八丁岩までたどり着きました。
生駒山・神津嶽・大原山 広いですね。
広いですね。
生駒山・神津嶽・大原山 眼下には太陽光発電施設が見えます。帰りは倒木と戦うのが嫌なので、東へ進んで自動車道へ出ることにしました。ところが短距離ですが、倒木はもっとひどかった。えらい目に遭ってしまった。
眼下には太陽光発電施設が見えます。帰りは倒木と戦うのが嫌なので、東へ進んで自動車道へ出ることにしました。ところが短距離ですが、倒木はもっとひどかった。えらい目に遭ってしまった。
生駒山・神津嶽・大原山 自動車道が南にも延びているのでちょっと行ってみてから下っています。実は府県境の三角点に行ってみようかと思ったのですが、登り口でパスしています。下ってきた道路脇のこの巨岩はいい形です。
自動車道が南にも延びているのでちょっと行ってみてから下っています。実は府県境の三角点に行ってみようかと思ったのですが、登り口でパスしています。下ってきた道路脇のこの巨岩はいい形です。
生駒山・神津嶽・大原山 実はこの道には問題点があります。ここが通行禁止なのです。これはこの先へ行っていけないのでなく、今私がいるところへ入っていけないというゲートです。従ってこの写真を撮った付近の左の石垣を下って農道に出れば問題ありません。
実はこの道には問題点があります。ここが通行禁止なのです。これはこの先へ行っていけないのでなく、今私がいるところへ入っていけないというゲートです。従ってこの写真を撮った付近の左の石垣を下って農道に出れば問題ありません。
生駒山・神津嶽・大原山 田原地区最北の大角墓地に来ました。六地蔵(316)がお出迎えです。
田原地区最北の大角墓地に来ました。六地蔵(316)がお出迎えです。
生駒山・神津嶽・大原山 お堂には丸彫の阿弥陀如来像(315)と前机(318)。
お堂には丸彫の阿弥陀如来像(315)と前机(318)。
生駒山・神津嶽・大原山 棺台(317)
棺台(317)
生駒山・神津嶽・大原山 佐越墓地と同様、木製の墓標が並んでいます。土葬だった時期の風習の名残だと思います。
佐越墓地と同様、木製の墓標が並んでいます。土葬だった時期の風習の名残だと思います。
生駒山・神津嶽・大原山 予定では大角墓地が最後のはずでしたが八丁岩に寄り道して北へ回ったため、これが最後になりました。319の「大角路傍」の地蔵様です。こんな所在表記で探すのは大変です。
予定では大角墓地が最後のはずでしたが八丁岩に寄り道して北へ回ったため、これが最後になりました。319の「大角路傍」の地蔵様です。こんな所在表記で探すのは大変です。
生駒山・神津嶽・大原山 生駒市域の遺物は終了で、北田原バス停から帰ればいいのですが、少し南で天の川を渡った四条畷市域に面白い道標があります。まず一つ目、高橋道標といわれていますが、「従是南奈良」とあって道標というより境界標です。後ろの石碑には「高橋」と記銘があります。
生駒市域の遺物は終了で、北田原バス停から帰ればいいのですが、少し南で天の川を渡った四条畷市域に面白い道標があります。まず一つ目、高橋道標といわれていますが、「従是南奈良」とあって道標というより境界標です。後ろの石碑には「高橋」と記銘があります。
生駒山・神津嶽・大原山 面白いのが北面で、「従是東大」とあります。昔は大阪と読めていた記憶があるのですが、一番下が見えません。間違い方が半端ないですね。
面白いのが北面で、「従是東大」とあります。昔は大阪と読めていた記憶があるのですが、一番下が見えません。間違い方が半端ないですね。
生駒山・神津嶽・大原山 少し川沿いを大阪側(西)に進んで辻の道標、これは新しいもので、面白いのは次です。
少し川沿いを大阪側(西)に進んで辻の道標、これは新しいもので、面白いのは次です。
生駒山・神津嶽・大原山 西へ進んで西川橋のたもと、墓石ですが、なんとこれが道標。西川橋道標といわれています。この形は珍しい。
西へ進んで西川橋のたもと、墓石ですが、なんとこれが道標。西川橋道標といわれています。この形は珍しい。
生駒山・神津嶽・大原山 墓石側面です。死してなお衆生を道迷いから救おうという見上げた心です。寄り道を終了して、北田原口バス停から帰ります。
墓石側面です。死してなお衆生を道迷いから救おうという見上げた心です。寄り道を終了して、北田原口バス停から帰ります。

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