日々山歩・25(人生をなめるな!)

2016.03.17(木) 日帰り

活動詳細

すべて見る

若い頃から時間をなめてきた自分がいた。 人生とかに具体的な目標とか夢があまりなかったから、時間に流されて暮らしていた。 恋愛に対してだけは、すごくまじめで熱心だった。そう、恋愛には燃えていた。しかし、実らないのがぼくの恋だった。 それでも結婚して、働いて、こどもの父親となっても時間に流されていた。家の30年ローンを払うために働いていたが、仕事はどんどんつまらなくなっていった。 30代。人生は甘くないという奴らを腹の底で笑っていた。人生は甘くて官能的だと思ってなめていた。たばこをやめるのは辛いというのは、まったくの嘘で、たばこをやめるのは簡単なのに、人は簡単なことを難しくする傾向がある。甘いのに甘くないと考えるのと似ている。 40代。さらにまだ大人にはなりきれない、なるきもない、自分がいた。病気をしたり、入院もしたが、やはり日々は官能的で楽しかった。60才の人たちは、はるか彼方をゆく先人たちだったし、自分がやがて60才になるなんて考えもしなかった。はっきり言うと60代に興味も関心もなかった。つまり、未来や老後をなめていた。 50代前にして親父が旅立った。 なにかが変わる気配を感じたが、それがなにかはわからなかった。 50代。おふくろが旅立った。孫が4人になり、まわりが動いているのを少し感じたが、還暦なんてまだまだ遠い他人事だった。 60才。人生をなめてきたつけは大きいのか小さいままなのかまだわからない。 時間をなめるのはやめた。 時間はもどらないし、もどせない。 時間は金で買うこともできないらしい。 残った時間を笑顔と感謝で生きようと密かに思っているのが、時間を大切にする僕の拙い結論だ。 そして、あんなにバカにしていた山歩きをはじめていた。 まもなく死ぬだろうという予感はするようになった。 心が少し成長したのだろうか? 思考が成熟しはじめたのだろうか? 少し遅いが、時間や人生をなめることをやめたんだからすごいのだ! 山歩きは2014年12月からはじめた。 2017年の12月まで3年間つづいたら、山歩きというゲームは、ぼくの勝ちだ! もし、4年間、山遊びがつづいたら、ぼくの大勝だ! 5年間つづいたら、ぼくの完勝だと考えている。 65才まで生きてゆけるかどうかわからない時間帯に入ってきてるんだ。 時間を大切に暮らそうと今は思っているよ。

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。