活動データ
タイム
05:00
距離
14.4km
のぼり
203m
くだり
201m
活動詳細
すべて見る今日は、前々から行きたかった60年1度の御開帳(開封)の嵯峨天皇直筆の「般若心経」を一目見るために、宇多野ユースホステルに前泊して、大覚寺に行って来ました。 ついでに並びの龍安寺、蓮華寺、仁和寺、大覚寺、清涼寺(嵯峨釈迦堂)の順にノルディックスタイルで巡拝して来ました。 また、近畿不動霊場と真言宗十八山本山の朱印も貰ってきました。 嵯峨天皇の「般若心経」は、非常に細い字でした。他の天皇の「般若心経」も一緒に見れたので、それぞれが色んな願いを込めて書いているに対し、僕もたまには書かんとな~と思いました。 もう一つ、感動したのは空海さんの「般若心経秘鍵」の末文の現代語訳があった事。 ~弘仁9年に疫病が流行り、嵯峨天皇が願いを込め写経した。すると、末字を書き終えてもいないのに疫病が治まったという話し。驚きを隠せない空海~…大体だが、そんな事が書いてありました。 ※ちなみに、今回はコース作成ではなく、あくまで観光巡礼です。もし歩かれるのであれば、宇多野ユースホステル~竜安寺までの道のりは、交通量も多く歩道も少ないので、ノルディックウォーキングに向きません。 その代わり、宇多野ユースホステル~大覚寺までの道のりは、歩道も脇道も多いのでノルディックウォーキングを楽しめると思います。 またメインの写真は、龍安寺の石庭を見る外国人の夫婦です。大覚寺の拝観では混雑を極め、大した写真は撮れませんでした。 途中、同じ写真が続きますが、フラッシュありとなしです。 龍安寺(りょうあんじ) 龍安寺は、京都府京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は大雲山と号し、石庭で有名。本尊は釈迦如来、開基(創建者)は細川勝元、開山(初代住職)は義天玄承である。「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。 徳大寺家の別荘だったのを、宝徳2年(1450)管領細川勝元が譲り受けて寺地とし、妙心寺の義天玄承を開山として創建されたものである。 応仁の乱によって焼失したが、明応8年(1499年)勝元の子、政元が再興した。 しかし寛政9年(1797年)の火災で方丈、仏殿、開山堂などを失った。 現在の方丈は、そのときの西源院の方丈(本堂)移築したものである。 拝観料500円。 蓮華寺(れんげじ) 蓮華寺は、京都市右京区にある真言宗御室派別格本山の寺院。山号は五智山(ごちさん)。本尊は阿弥陀如来。キュウリに疫病を封じ込め、病気平癒を祈願するきゅうり封じの法要で知られる。 天喜5年(1057年)に後冷泉天皇の勅願により、藤原康基が開創した。その後、応仁の乱の兵火に遭い、寺地を鳴滝音戸山の山上に移し、長い荒廃の時代が続いた。 伊勢生まれの江戸の豪商出身の常信が寛永18年(1641年)に再興し、仁和寺の覚深法親王から寺号を改めて、五智山蓮華寺の号を賜った。 昭和3年(1928年)に現在の地に移され、その後昭和33年(1958年)に五智如来石像をはじめとして、離散・損傷していた石仏群を収集・修復して境内に改めて安置した。 今日も境内にその姿を見ることが出来る五智不動尊像と五智如来石像(大日如来、阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来、宝生如来)も、この際に常信が木食僧坦称上人に依頼して作成させたものである。 五智不動尊は、千余年の永きに亘りお守り不動として、その霊威を発揮し今日まで脈絡として広く信仰を集めている。 境内拝観自由。 仁和寺(にんなじ) 仁和寺は、京都府京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の仏教寺院。山号は大内山。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇。「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されている。 仁和寺は平安時代、第58代光孝天皇の勅願で仁和2年(886年)に建て始める。 そして仁和4年(888年)宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和寺を完成した。 宇多天皇は退位後、出家し仁和寺を住まいとし、真言密教の修行に励んだ。以来、明治維新まで皇子皇孫が門跡となり、仁和寺は御室御所とも呼ばれ親しまれてきた。 桜の名所としても知られ、春の桜と秋の紅葉の時期は多くの参拝者でにぎわう。 また、宇多天皇を流祖とする華道「御室流」の家元でもある。 境内拝観自由。御殿・霊宝館の拝観のみ有料(500円)。ただし、御室桜の開花時(4月)に「さくらまつり」があり、その期間のみ境内拝観料(500円)がいる。 大覚寺(だいかくじ) 大覚寺は、京都市右京区嵯峨にある、真言宗大覚寺派大本山の寺院。山号を嵯峨山と称する。正式には、旧嵯峨御所大覚寺門跡といい、嵯峨御所とも呼ばれる。 本尊は不動明王を中心とする五大明王。 開基は嵯峨天皇。嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院である。 平安初期、嵯峨天皇が離宮を建立する。これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院である。 貞観18年(876年)に、恒寂入道親王が開山して嵯峨院が大覚寺となる。 空海のすすめにより、嵯峨天皇が浄書された般若心経が勅封(60年に1度の開封)として奉安され、般若心経写経の根本道場として知られる。 明治時代初頭まで、代々天皇もしくは皇統の方が門跡(住職)を務めた格式高い門跡寺院であり、いけばな嵯峨御流の家元でもある。 拝観料500円。ただし、開封特別期間(2018年10月1日~11月30日)は1000円。 清凉寺(せいりょうじ) 清凉寺は、京都府京都市右京区嵯峨にある浄土宗の寺院。山号を五台山(ごだいさん)と称する。嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)の名で知られ、中世以来「融通念仏の道場」としても知られている。宗派は初め華厳宗、後に浄土宗となる。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は奝然、開山(初代住職)はその弟子の盛算(じょうさん)である。 開創は、この地に嵯峨天皇の皇子・左大臣源融(822年 - 895年)の別荘・栖霞観(せいかかん)があった。 源融の一周忌に当たる寛平8年(896年)、源融が生前に造立発願して果たせなかった阿弥陀三尊像を子息が造り、これを安置した阿弥陀堂を棲霞寺(せいかじ)と号した。その後天慶8年(945年)に、重明親王妃が新堂を建て、等身大の釈迦像を安置した。 棲霞寺草創から数十年後、永延元年(987年)東大寺出身の僧、奝然(ちょうねん)が当時の中国・宋から帰国後、京都の愛宕山を中国の五台山に見立て、愛宕山麓に宋から持ち帰った釈迦如来立像(国宝)を安置する寺を建立しようとした。しかし延暦寺の反対にあい、その願いを達しないまま長和5年(1016年)奝然は没した。かれの遺志を継いだ弟子の盛算(じょうさん)が棲霞寺の境内に建立したのが、五台山清凉寺である。 本堂拝観400円。
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