歩き納めウオーキング(望海公園・明石海浜公園)

2018.12.16(日) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
2 時間 37
休憩時間
16
距離
9.7 km
のぼり / くだり
62 / 63 m
2 37

活動詳細

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今年もあと残すところ10日あまり、歩き納めで明石二見近辺をウオーキングしてきました。 播磨町駅をスタート、向ヶ池公園を抜け播磨町役場から南へ、播磨町総合体育館・古宮住吉神社・望海公園 → 二見大橋 → 明石海浜公園 → 波切不動明王 → 東二見駅 → 御厨神社 → 西二見駅・イトーヨーカドー明石店 → 古宮大池 → 播磨町図書館ゴールです。

明石市・加古川市・高砂市 山陽電車播磨町駅
山陽電車播磨町駅
明石市・加古川市・高砂市 播磨町駅の東にある向ヶ池公園
播磨町駅の東にある向ヶ池公園
明石市・加古川市・高砂市 43年前に建立された向ヶ池公園にある戦没者慰霊碑
43年前に建立された向ヶ池公園にある戦没者慰霊碑
明石市・加古川市・高砂市 新島人工島の竣工記念碑
新島人工島の竣工記念碑
明石市・加古川市・高砂市 古宮住吉神社
古宮住吉神社
明石市・加古川市・高砂市 古宮住吉神社本堂
古宮住吉神社本堂
明石市・加古川市・高砂市 古宮住吉神社内に咲いていたサザンカ
古宮住吉神社内に咲いていたサザンカ
明石市・加古川市・高砂市 古宮住吉神社本堂
古宮住吉神社本堂
明石市・加古川市・高砂市 古宮住吉神社常夜燈由来の碑
古宮住吉神社常夜燈由来の碑
明石市・加古川市・高砂市 川崎重工播磨工場
川崎重工播磨工場
明石市・加古川市・高砂市 三菱重工神戸造船所二見工場
三菱重工神戸造船所二見工場
明石市・加古川市・高砂市 人工島と結ぶ二見大橋手前から明石海浜公園を望む
人工島と結ぶ二見大橋手前から明石海浜公園を望む
明石市・加古川市・高砂市 明石海浜公園から東側の大橋を経て東二見駅に向かう
明石海浜公園から東側の大橋を経て東二見駅に向かう
明石市・加古川市・高砂市 東二見駅から南の人工島と結ぶ橋から、東の明石海峡大橋を望む
東二見駅から南の人工島と結ぶ橋から、東の明石海峡大橋を望む
明石市・加古川市・高砂市 波切不動明王全景
波切不動明王全景
明石市・加古川市・高砂市 波切不動明王、波切不動は空海が唐から日本に帰国の時、大嵐に見舞われ難破しかけた時に現れた不動明王で、空海が唐の恩師から賜った石仏に祈願すると、右手の利剣で波を切り裂き、海路ができて無事に日本へ帰国できたとされます。
その後その石仏を浪切不動明王と呼ぶようになりました。
波切不動明王、波切不動は空海が唐から日本に帰国の時、大嵐に見舞われ難破しかけた時に現れた不動明王で、空海が唐の恩師から賜った石仏に祈願すると、右手の利剣で波を切り裂き、海路ができて無事に日本へ帰国できたとされます。 その後その石仏を浪切不動明王と呼ぶようになりました。
明石市・加古川市・高砂市 山陽電車東二見駅です。
山陽電車東二見駅です。
明石市・加古川市・高砂市 御厨神社、4世紀頃、神功皇后が三韓出兵の際に二見浦に船を寄せ兵糧を集めたことから御厨(みくりや)との神名が付けられたと伝わります。
御厨神社、4世紀頃、神功皇后が三韓出兵の際に二見浦に船を寄せ兵糧を集めたことから御厨(みくりや)との神名が付けられたと伝わります。
明石市・加古川市・高砂市 御厨神社、9世紀後半に八幡宮を勧請し、10世紀後半には菅原道真が立寄ったことから天満宮も勧請しています。境内にはこの伝説を伝える碑や、天満宮ゆかりの霊牛神社があります。また、紅梅と白梅の梅林があり2月頃には美しい花々が、秋には鯛やタコを染め抜いたハッピ姿の若衆が担ぐ神輿が明石の秋祭りを彩ります。
御厨神社、9世紀後半に八幡宮を勧請し、10世紀後半には菅原道真が立寄ったことから天満宮も勧請しています。境内にはこの伝説を伝える碑や、天満宮ゆかりの霊牛神社があります。また、紅梅と白梅の梅林があり2月頃には美しい花々が、秋には鯛やタコを染め抜いたハッピ姿の若衆が担ぐ神輿が明石の秋祭りを彩ります。
明石市・加古川市・高砂市 古宮大池に1羽で寂しそうに立っていた。
古宮大池に1羽で寂しそうに立っていた。
明石市・加古川市・高砂市 昭和55年(1980年)4月12日、播磨町中央公民館の前庭に建てられたジョゼフ・ヒコの胸像、本名は浜田彦太郎(のち浜田彦蔵)、江戸の帰りに船が難破し太平洋を52日間漂流、米国船に助けられそのままアメリカへ、日本人として初めて米国市民権を取得し、その後帰国。「新聞の父」と言われるのは、1864(元治元)年6月、日本で初めての新聞を発刊したことによる。
昭和55年(1980年)4月12日、播磨町中央公民館の前庭に建てられたジョゼフ・ヒコの胸像、本名は浜田彦太郎(のち浜田彦蔵)、江戸の帰りに船が難破し太平洋を52日間漂流、米国船に助けられそのままアメリカへ、日本人として初めて米国市民権を取得し、その後帰国。「新聞の父」と言われるのは、1864(元治元)年6月、日本で初めての新聞を発刊したことによる。
明石市・加古川市・高砂市 播磨町図書館
播磨町図書館

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