活動データ
タイム
01:21
距離
3.2km
のぼり
213m
くだり
216m
活動詳細
すべて見る歴史のロマンを感じられます 小学生の頃草スキーしに行っていた公園の山に、堡塁跡があるとこの頃知り、行きたい気持ちを燻らせていた所、やっとチャンスが!! 急に行くことになったので、普通着でした。災害の影響か、地面がぐちゃぐちゃになっている所が多々あり、子供が遊べないなあと思ってたら、そういえば自分もおニューの靴で萎えました。 写真をたくさん撮ったのですが、なんの建物か分からず、調べてみたのですがそれでも分からず😥 分かる人は是非教えて欲しいです! ↓↓↓以下は堅苦しい内容 ・矢筈堡塁跡とは 明治20年頃、伊藤博文首相と陸相大山巌の指示により、国家有事に備え関門の要塞として、笹尾山和布刈とともに構築された陣地跡である(矢筈堡塁跡の石碑より) また、 1887年(明治20年) 日本軍は、アジア最強の海軍北洋艦隊を持つ清国からの攻撃に備えて、矢筈山に砲台の建設をしました。しかし、1894年(明治27年)に日清戦争が勃発しましたが、翌年には終戦となり、この砲台を使用することはありませんでした。 1904年(明治37年)には、日本とロシア帝国との間で日露戦争が始まり、南太平洋上では世界最強と言われたロシアのバルチック艦隊が日本に向かいました。そこで関門海峡の各砲台は臨戦体制をとりましたが、対馬沖で日本の連合艦隊と海戦になり、ロシア艦隊は全滅、降伏したため、このときもこの砲台は使用されませんでした。(ブログ https://www.google.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/mikiooct/entry-12149345346.html より)
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