#128 大阪関西歩け歩け協会リーダウォーク 【暗越奈良街道と管笠ゆかりめぐり】

2019.02.13(水) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
5 時間 25
休憩時間
1 時間 19
距離
15.7 km
のぼり / くだり
20 / 20 m
5 26

活動詳細

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#128 大阪関西歩け歩け協会リーダウォーク 【暗越奈良街道と管笠ゆかりめぐり】 ウォーク距離 15.7 km   大阪関西歩け歩け協会/JRふれあいの「暗越奈良街道と管笠ゆかりめぐり」ウォーキング(参加者125名)にJR玉造駅前の東小橋北公園でジョインしました。 10kmの行程だったのでスタート/ゴールを京阪京橋にしました。   歩き出すと、当時「つるや」と「ますや」という2件の茶屋が営業していたとの二軒茶屋跡があります。ここは江戸時代の暗越奈良街道の起点であり、こと。旅人が休憩したり、見送りの人と別れたりする場所だったようです。ここを越えて少し歩くと、暗越奈良街道の石碑が現れます。   次に、大阪メトロ千日前線/今里筋線の今里駅近くには、暗越奈良街道の案内板がありました。 そこに、先日亡くなられた堺屋太一さんの文が掲げられていました。 『 暗越奈良街道 シルクロードの終わるところ  暗越奈良街道は、大阪と奈良を結ぶ最も近い道だ。 それだけに、古来、様々な人と物とがここを通った。古くは、天平時代、大仏開眼に招かれたインド僧が(736年)、次いで中国の鑑真和上が(753年)、ここを通って奈良の都に入った。正倉院に残る宝物の中にも、この道を運ばれたものが多かったことだろう。この道は、シルクロードの東の端なのだ。 戦国時代には、大和郡山城主となった豊臣秀長が何度も往来したことだろう。百年余を経た元禄7年(1694年)、松尾芭蕉がここを大阪へと歩いていた。そして、それから十年後(1704年)、大和川の付替えで、遠藤の景観は一変した。多くの川や沼が消え、豊かな綿畑に代わったのだ。 翌年(1705年)伊勢参りが爆発的に流行した折には、一日7万人がこの道を伊勢に向かっていた。この道は、伊勢街道のはじまりでもあった。   堺屋 太一 』   奈良までの終点まで32kmくらいですね。途中の県境の「暗峠」は、生駒縦走時に通りました。   熊野神社でお参りして、深江稲荷神社参道を通ります。「ようこそ菅笠の里へ」 足代の地名の由来と菅笠について、「深江や足代地域は奈良街道に面し、伊勢参りする旅人たちにこの頭上の円形の菅笠は大変重宝がられ、旅人は争って菅笠を買ったと言われています。」 深江稲荷神社を訪れました。ここが、「深江菅笠ゆかりの地」、「摂津笠縫邑跡」です。今では想像できませんが、古代、深江から足代付近一帯は、「笠縫島」と呼ばれる島であったそうです。 布施公園で昼食を済まし、中央大通と深江を通って帰途につきました。     京阪京橋駅~大阪環状線・玉造駅~東小橋北公園 ~熊野大神宮 ~深江稲荷神社・深江の菅田~【布施公園】~中央大通~深江~大阪環状線・森ノ宮駅~京阪京橋駅      本日の出発から帰宅までの歩数: 27,233歩 ( 実効距離 19.0km ) 歩行中の補給水分: 0.5リットル          【暗越奈良街道】 https://ja.wikipedia.org/wiki/暗越奈良街道 かつての平城京三条大路である奈良市三条町から砂茶屋を通り、標高270mの榁木峠(むろのきとうげ)を越えて生駒谷を経て、その先の標高455mの暗峠を越えて難波に至る延長約15kmの街道で、現在の国道308号にあたる。 街道の中間付近にある生駒谷から暗峠への登り道は、急斜面の登坂路である。斜面の棚田のそばを通りながら、山の中へ入っていく道筋には、石仏寺、弘法大師堂などの古寺や石仏が多くあり、これらのなかには「くらがり峠 旅行く芭蕉」と記された石碑もある。坂を登り詰めたところが暗峠で、約50mのコンクリート舗装の石畳の道となっており、そばに大神宮灯篭や往年の道標などが見られる。      

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