活動データ
タイム
06:31
距離
10.8km
のぼり
898m
くだり
896m
活動詳細
すべて見る最初にお詫びします。 YAMAPエリア外の山なのでログを書くために剣山の地図で起動してますが、剣山系の山ではありません。 剣山の名前で検索された方、ごめんなさい。 片道3時間の道のりだが巨木好きの自分としては、絶対はずすことのできない千本山に登った。 高知市から国道55号線を室戸方面へ進み、安田町を県道54号線へと入る。 そして、北川村久木分岐から県道370号線を約30分ほどで登山口へといたる。 ■見所満載のハイキングコース 登山口の千本橋を渡るといきなり巨大な杉が出迎えてくれる。 千本山を代表する「橋の杉」と呼ばれている樹齢約250年、樹高54m、直径2mの大杉だ。 林野庁が全国で指定している森の巨人たち100選にも選ばれている。 年間総雨量4000mmを越す温暖多雨な気候で育った杉の巨人たちは、藩政時代の御留山の中でも特に優れたものとして土佐の宝とされていた。 度々、困窮した時の財政を潤しただけでなく、開成館と自由民権運動の板垣退助が共に資金調達のため伐採計画をたてたが、幸いにも両計画は中止になった歴史もあるそうだ。 出だしからこれだ、ワクワクする! 登山道の前半は木道がつづくが、やがて腐葉土になり歩きやすい。 巨木が林立する場所に差しかかってくると「親子杉」「写真場」「鉢巻き落とし」「根上がり杉」など、まるで舞台装置のような名前が付けられた名所が楽しませてくれる。 名もない杉もご神木クラスの大きさで、その巨人たちに挟まれた登山道を歩いているだけで気持ちがいい。 ついつい「この森なら立体機動が使いやすいだろうな」などとバカな事を考えながら歩いてしまう。 入口の「森の巨人たち100選」という肩書きに引っ張られすぎだよ。 展望所に着くと、そこには「真優美杉」と名付けられた特別美しい木肌をした杉が静かにたたずんでいる。 一般の観光客でもそれほど苦労なくたどり着けるので、オススメの森林浴スポットだ。 ■保護林の登山道を行く 展望所から頂上までは、ザレたトラバース道や倒木が道をふさぐ、いつもの登山道へと変わる。 多少障害物競走のようにして進まなければならないけど、この方が楽しい。 精英樹林や特別母樹林など白髪山のヒノキと同じく遺伝子保護された自然林を進んでいると急に視界が開け、崩壊地へと差しかかる。 撮影中もガラガラと音を立てて崩れていて、近い将来通れなくなるだろう。 崩壊地からは隣の甚吉森がキレイに見える。 千本山は信仰の山ではないけど、他の四国の山同様、平家伝説が残されている。 その昔、壇ノ浦から逃げ延びた能登守平教経が甚吉森にたどり着いたとき、家来のひとりが丸い山容の千本山に住まいを建ててはと進言。 すると教経は満足そうに 「この森は甚(はなは)だ吉なり、されば丸い山の下を住まいと定めよう」と言われたという。 そこから「甚吉森」と名付けられたそうだ。 ■寒っ! 頂上直下から小雪混じりの強風が吹き始めた。 いくつかのアップダウンを繰り返して頂上に着く頃には、極度の寒がりな自分にとって冷たさはピークに達する。 頂上の周りは木々で覆われているが、その間をすりぬけて冷たい風が体の熱を奪っていく。 眺望もないし、こんな寒いところでランチはとても無理!下山だ!! ロボット雨量計測所前でようやく風がおさまり、陽射しも暖かくなったので、計測所前の小さなスペースでランチをとることにした。 柔らかい陽だまりの中で食べる山ラーは最高に旨い。 幸せだ。 ■今も 登山口まで戻ってきたが少し歩き足らないので、珍しい砂防ダムと平家屋敷跡の石碑を見に行った。 登山口から林道を少し下り、分岐を山手に登ると平坦な土地に行き当たる。ここが能登守平教経の屋敷跡らしく、「元暦元年行宮御隠居伝説、能登守平教経一族之御屋鋪趾」(昭和10年3月15日魚梁瀬有志西川従業員一同建之)と刻まれた自然石の碑がある。 石碑の前にはお賽銭や花が供えられ、今も里の人々に手厚く祀られていた。 平家伝説の残る地は、いつも優しさであふれてるな。 心が温かくなったところで森の巨人たちに別れを告げることにする。 今日は北川温泉のゆず風呂でゆっくり体も温めよう。 寒さが厳しくなってきたなあ。 次はどのお山に登ろうか。
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