遥かなる山「ペテガリ岳」東尾根往復

2016.08.10(水) 4 DAYS

活動データ

タイム

56:27

距離

26.9km

のぼり

3088m

くだり

3088m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
19 時間 16
休憩時間
7 時間 44
距離
7.7 km
のぼり / くだり
1492 / 435 m
DAY 2
合計時間
15 時間 10
休憩時間
3 時間 41
距離
6.8 km
のぼり / くだり
784 / 624 m
DAY 3
合計時間
19 時間 23
休憩時間
5 時間 50
距離
9.5 km
のぼり / くだり
756 / 1368 m
DAY 4
合計時間
2 時間 36
休憩時間
0
距離
2.7 km
のぼり / くだり
28 / 660 m

活動詳細

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昨年は北海道の100名山全てに登頂したので、今年はその200名山全てに登頂を達成することを目標にした。先日、難関のカムイエクウチカウシ山にやっと登頂することができ、最後に残ったのは「遥かなる山」と言われているペテガリ岳のみ。 本来は1泊2日で神威山荘から渡渉してペテガリ山荘まで行き、そこから山頂往復してまた神威山荘まで戻るルートが一般的。しかし、7月下旬の大雨で神威山荘までのルートが崩壊。また、ペテガリ山荘までの道もひどい事になっているという。役場に聞いても復旧には時間がかかりますとのこと。これではペテガリ岳に登頂することは無理かもしれない。 そこで考えたのが200名山一筆書き踏破をした田中陽希さんが登頂した東尾根ルート。ポンヤオロマップ岳(1405m)にまず登頂し、そこからペテガリ岳までの8kmの東尾根を、幾つものピークを越えて山頂まで行くというルートだ。大樹町役場に電話して問い合わせたら、登山口までの道は大丈夫だとのこと。 しかし、このルートにいくつかの問題がある。まず水場が無いことである。自分がテン泊する時は、浄水器で水を作るので2L位しか持たない。田中陽希さんは東尾根から西尾根の日帰りの縦走だったので6Lの水を持参していた。自分は1泊するので8Lの水で何とかなるだろうと考えた。するとザックの重量は24kgにもなった。 また、ほとんど歩く人がいないので、整備されていなく廃道に近い。かなりルートが分かりづらかったり、稜線を歩くことになるので左右が切り立った崖を歩かなければならなかったりする。それを往復28kmも歩かなければならない。 あとはヒグマなどの野生動物がかなり生息しているとも言われている。 そこで、ネットでいろいろな方の登頂記を読んだり、陽希さんがペテガリ岳に登頂した時のビデオや、YouTubeにアップされている登山道の様子を何度も見て研究した。 いろいろな不安を抱えながらも、ポンヤオロマップ岳登山口がある大樹町のペテガリ橋を目指す。途中で登頂や帰還が難しいと思ったら、すぐに撤退すると決めていた。登山者名簿には今年は4組の名前が書いてあった。ほとんど登る人はいないようだ。ポンヤオロマップ岳までが3組、ペテガリ岳までは1組。全員、「下山」と大きく書いてあった。その文字に励まされ、午前4時半に登山開始。 ポンヤオロマップ岳は始めは普通の登山道だったのだが、やはりあまり登る人がいないためか、ほとんど整備されてはなくマーキングもまばらにしかなくなる。843mから1121m過ぎまでは笹やぶだらけ。それも自分の背よりも高い笹やぶだ。笹の下に刈り込んでいるところを見つけながら登っていく。1121m過ぎからは急登になる。マーキングがないのでほとんど踏み跡だけが頼りだ。いつも登山する山の整備された登山道とはほど遠い。登山道が分からなくなると戻って何度も確認した。その作業にかなり時間が取られた。高い木が登山道には生い茂っているので、景色もほとんど期待出来ない。ポンヤオロマップ岳でこんな状態なら、ペテガリ岳への稜線はさらにすごいことになっているかもしれない。もうこの段階で撤退する事も考えたが、やっとの思いで山頂までたどり着く。登山口から6時間かかっていた。何と陽希さんは3時間で登頂している。やはり超人だ。 さあ、これからが大変だ。ポンヤオロマップ山頂に2Lの水をデポして稜線を進む。目指すペテガリ岳は全く見えない。なるべく今日中にペテガリ岳までの中間地点である、1518ピークまで行かないと次の日の歩く距離が長くなってしまう。重いザックを背負って一生懸命歩いているのだが、藪や笹に行く手を阻まれる。ハイマツの根元を見ると登山道っぽいところがあるので、ハイマツの枝を上から踏みつけて進む。しかし、なかなか思うようには進めない。もう5時近くなっていたことと、テン場がこの先見つからないと暗い中歩かなければならないので、1つ前の1417ピークでテン泊することにした。 次の日、テントはそのままにして午前5時から行動開始。日帰りでここまで戻ってくる予定。食料はもちろんテントから残さずに全て持っていく。水は2.5L持った。途中、1518ピークまでには沼(水場)が2、3カ所にあった。これは陽希さんの番組でも知っていたのだが、8月にはもうないだろうと思っていた。浄水器を持って来ていれば…と思ったが、後の祭りである。そこにテン場もあったので、以前登っていた方はこの水場を知っていたのだろう。 前日は曇り。気温が上がらなくて水の消費が少なく助かった。しかし、この日はほとんど快晴の中歩いた。稜線上だけれども高い木の下を歩くことになり、日陰になり助かった。すると徐々にペテガリ岳の姿が見えるようになる。また、右には先日登ったカムイエクウチカウシ山や、その下の札内川の上流もみることができた。 6時間歩いてやっと1573ピークに出た。自分はここから見るペテガリ岳が好きだ。多分、1番ペテガリ岳がカッコよく見える場所なのではないだろうか?ピラミッド型をしていて、西尾根の急峻さもよく分かる。ペテガリ岳からヤオロマップ、コイカク、カムエクの稜線がとても綺麗だ。その稜線がペテガリ岳の西尾根で一気に急降下する。この逆の稜線が幌尻岳まで続いていることにも驚く。また、遥か下の札内川の上流の音も聞こえてくる。 この景色を見ることができたので、テントまで引き返そうかと思った。すでに午前11時、これから山頂往復で2時間かかるとしたら、テントまで着くのが19時になってしまう。しかし、すぐそこに見えるのだから2時間以内に帰って来られると思い、山頂に向かって歩き始めた。これが1つ目のミスである。 1573ピークから山頂までは今までの登山道とは一変していて、大きな岩の間にハイマツが生い茂っている最悪の状態だった。足は青タンだらけ、腕は擦り傷だらけ…行けども行けども山頂まで着かない。ハイマツ地獄を越えたら、笹やぶ急登地獄が山頂まで続く。なぜ1573ピークからいきなり登山道がほとんど無くなってしまうのか分からない。でも、登山道が1本稜線上についてしまったら、ここから見るペテガリ岳の魅力は半減するだらうと思い、頑張って登った。 やっと山頂に着いた。自分にとっては、本当に遥かなる山だった。山頂は貸切状態。快晴、無風。絶景を独り占め。とても贅沢な時間になった。神威山荘までは通行止めだから西尾根から登って来る人がいないので、当たり前なのだが… 「山の日」に、日本200名山の山頂で誰にも会うことがなかったのも笑えた。 さて、長居していては帰れなくなる。すぐに下山を開始する。しかし、ハイマツに手こずったことで、この時点で午後2時を過ぎていた。山頂からテントまで帰る頃は、間違いなく真っ暗になっていることだろう。本当はこのまま西尾根を下山して、ペテガリ山荘に行きたかったが、テントや車を置いてはいけない。この時点で、1573ピークでのビバークを選択する。 さて、そうなると困るのが水の確保だ。2.5Lの水はすでにあと1.5Lしかない。ペテガリ岳の1400m程の場所に、湧き水が流れ出ている。そこまで行って汲んで来ようと思って少し下りたが、かなり急でハイマツだらけで身動きできない状態だった。そこで水は諦めて0.5Lの水で夕食を摂り、明日の飲み水は1Lでテントまで行くことにした。 食事はアルファ米のわかめごはん。日帰りの予定だったので、ガスバーナーを持って来なかった。そこで水を入れて1時間待ってから食べた。お湯が無くても食べられるのは凄い!夜は日が暮れると途端に寒くなる。ストックを2本立ててツェルトの中で寝た。ザックの中身を全て出して、下半身はザックに入れて上半身はザックカバーで覆った。ヘルメットはちょうどいい枕になった。満天の星空。流星も幾つか見えた。天の川もよく見える。夏の大三角を探しながら寝た。「山の日」に1日中山の中にいた。 次の日は午前3時過ぎから日の出を待った。時間が過ぎるのがこんなに遅く感じることは最近なかったのではないか?やっと少しずつ空が赤くなり、真っ黒に見えていたペテガリ岳にもその赤みが反射してきた。まるで命が吹き込まれるようだった。世界が真っ暗闇の中から、明るい朝の世界に引き込まれていった。朝焼けのペテガリ岳を見ると、自分の気持ちも徐々に高揚してくるのが分かった。 さて、赤く染まるペテガリ岳に別れを告げ、テントがある1417ピークまで1Lの水で移動する。この日もまた快晴、微風のコンディション。稜線歩きなので、帰りが早くなる事はない。また6時間の長旅になる。幾つものピークを超え、やっと1518ピークまで辿り着いた。しかし、同時に1Lの水も尽きた。残りの1417ピークまでの1時間半は水無しで進まなくてはならない。普段の登山ではあまり水を飲まないのだが、今回のように水が無いとなると、無性に飲みたくなる。途中、行きに見た水場があったが、我慢して歩いた。 やっと1417ピークのテントまで戻ったきた。ここには2Lの水を置いてあった。すぐに0.5Lの水を一気に飲んで、残りの0.5Lで食事を作った。今度はお湯を沸かし、アルファ米の白米の袋の中に卵とじ、ビーフシチューを入れて食べた。こんなにアルファ米を美味しく感じたことはない。かなり疲れていたので、テントで1時間仮眠した。 さあ、午後2時半。全てを片付けてポンヤオロマップ岳に向かう。そこまでの残りの水はまた1L。実はこの1417ピークから、ポンヤオロマップ岳までの道が一番ひどいのだ。アップダウン、切れ落ちた稜線、藪漕ぎなどなど。あまりにひどい道でいつの間にかOAKLEYのサングラスが無くなっていた。度入りの特注品だったのでかなりしたと思う。これが今回の登山で1番ショックだった。相変わらずあと1時間で着くところで水が無くなった。 さあ、3時間かけてやっとポンヤオロマップ岳山頂に到着した。ここには2Lの水をデポしてある。また一気に05L飲んだ。何と山頂には沢登りをしてきたという方がテントでファイターズ戦の実況をラジオで聞きながら寛いでいた。ポンヤオロマップ岳にはこの時期登る人がいないということや、自分も昔ペテガリ岳までポンヤオロマップ岳から登ったこと、まと、昔は「山家」がいたから登山道は整備されていたけれど、今は荒れ放題だということを教えてもらった。ちなみにこの山を下山するには何時間かかるかを聞いてみたら、3時間から4時間だということ。夜もライトで下を照らせば登山道が分かると教えてもらった。 もう2日山の中にいる自分は、早く山から下りたくなって、「3時間で下りれる」という言葉にすっかりその気にさせられた。ハイドレーションシステムに水を最後の1.5Lを入れ、ヘッドライト、手持ちライト、ソーラーランタンの全てに明かりを灯し、蛍のようになって下山を開始した。これが2つ目のミスである。 始めは順調に笹やぶの下の登山道を見つけながら下山することができた。しかし、足の裏の痛みがどんどん増してきた。無理もない、3日続けて1日12時間以上は歩いているのだから。なかなかペースが上がらない。しかも下山なのに、笹やぶの長い急登が何度も出てくる。何とここで1.5L入れた水が尽きてしまう。GPSで自分の場所を確認すると、3時間経っても大体半分くらいまでしか来ていなかった。このまま行けるのか不安になってきた時に、追い打ちをかける奴が出てきた。夜行動物である。 キーキーと鳴いてこちらを威嚇してくる。笹やぶをかき分けて走る音がする。こちらもライトを当てたり、笛を吹いたり、声を出したりした。甲高い声なので熊ではないようなのだが、こちらは熊スプレーを握りしめて対処する。知らず知らずのうちにこの動物の棲家に入ってしまったようだ。まずは左から鳴き声が聞こえるので、右に方向を変えて下山した。すると鳴き声がしなくなった。 すると困った事にルートを外れてしまった。地図やコンパス、高度計、GPSを駆使して大体の自分の場所や、どの位ルートから外れているのかは分かった。多分、右上に稜線があり、そこがルートだろう。そこに行こうと思ったが、真っ暗闇でよく見えない。また、夜露で笹が濡れて滑って進みづらい。もし動き回って深みにはまったら大変なことになる。そこで平らな場所を見つけてテントを張ることにした。 素早くテントを張り、ラジオの音量を上げた。熊スプレーをすぐに発射できるようにした。水が無くなっていたので、笹に付いていた夜露を舐めてノドを少しだけ潤した。また、テントに付いた夜露を舐めた。その後、テントの中でザックからマットとシュラフを出していたら、ハイドレーションシステムの中に0.5Lの水が残っているのを見つけた!これこそ天の恵み。この水で明日は下りれると思ったら、すぐに眠りについた。 次の日、疲れていたのか朝は6時に目が覚めた。すぐに片付けて、ルートを確認する。前の日は真っ暗闇で何も見えなかったが、やはり右上に稜線が見えた。笹をつかんで登り、やっとルートに戻ることができた。9時前に登山口に到着してすぐに、登山者名簿に「下山‼️」と大きく書いた。

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