活動データ
タイム
176:00
距離
38.3km
のぼり
3852m
くだり
3853m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る実際には5042m、登頂の記録が無いため梅花嶺(ピークアプリコス)と命名。 標高は低いが、形の良さでこの山をチョイス。 結果的に高所順応にも問題なく短期間で登頂出来ました。 詳細は下記にて http://www1.linkclub.or.jp/~hanz/100th-mount/100th-ensei.html GoogleMapで表示すると結構まともな等高線表示になっています。 当時の感想文 天山山脈から帰ってきてはや2ヶ月が過ぎてしまいました。山にいるときは無事に社会復帰が出来るかどうかとても心配したが、すっかりもとのサラリーマンに戻ってしまいました。 今回の遠征は自分にとり、かけがえのない体験となりました。登頂できたということはもちろん、天山山脈に行けたことじたい考えてみれば素晴らしいことでした。行けたのは自分の力ではありません。行かせてもらった、連れていってもらったのです、この思いは頂上に立つちょっと前から大きくなりそして頂上で涙となって吹き出しました。自分ほど幸運な人間はいないのではないかと思ったほどです。 山そのものはたいへん厳しいものでした。今になって考えると、それほど難しかったのかと疑問に思うこともありますが、しかし、登っていたときは確かに苦しく、また良くもこんな所にルートを開いてくれたなと感動していました。高度5000メートルの未踏の地での登攀とはこれほどたいへんなものかと実感させられました。体力任せにただ歩いているだけで頂上にたどり着く山でなかったことが今回の山の面白みになったと思います。頂上までルートを引いてくれたエキスパート、それとこの素晴らしい山を見つけてくれた偵察隊に尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。 登山そのものの面白みのほか、ベースキャンプ、カルカラキャンプで、ホントにのんびりした日々を過ごせたことも下界では体験できないものでした。あまりに暇で何をして良いのか分からなくなってしまうほどでした。また、衛星電話(後から分かったことですが、私の会社で作っている水晶発振器が使われていた様です)を使えたのは画期的なことでした。あと数年もすると普通のことになるのでしょうが、あんな前人未踏の地に子供から”昨日歯が抜けたよ”と電話が来てしまうのですから。悪い知らせが入ってしまうなど逆効果もあるでしょうが、今回は私にとってとても励みになりました。 隊も素晴らしいものでした。あのマカルー西壁登山隊のコーチもつとめたBCマネージャーのサーシャに”High Spiritなチームだ!”と言わせたほどです。後のお笑い宴会の果てに取り消された?ようですが、確かに素晴らしいチームでした。人間的にも登山能力的にも。チームの中には天山まで行けなかった人もいましたが、こんなチームの中で計画から参加できとても幸せでした。 そんなわけでこの夏はあっという間に終わってしまいましたが、次のステップへのスタートでもあります。次も登山かどうかは今のところ決めていませんが、この隊の登山であれば間違いなく参加です。こんな楽しいことは人生何回あるか分かりませんので。 ●行動記録 8月7日 ばりばりの偵察隊3人を見送った後、体調を崩した亀岡を除いた残ったメンバーで荷揚げ開始。8月5日に南面を偵察したメンバーが道案内をしながらガレ場を進む。山から崩れ落ちた石や岩とモレーンの石でとても歩きづらい。山の斜面には雪蓮も見られ、また珍しい石などを捜しながら苦しいながらも楽しい道中である。そのうち野球場の半分ほどの広さがある広場に到着しそこで休憩とする。皆でここに仮のキャンプがあった方が今後の荷揚げや行動に良いのではないかと言うことになり、予定地よりだいぶ手前であるがテントを張ることとした。しかし広場の中は平らで快適そうであるが、山からの落石の危険があり少し離れた場所に決定。早速仮のキャンプを設営した。(標高3900m) テント設営後、さらに氷河の取り付きまで荷揚げする荷物を運ぶ。急なガレた斜面をトラバースしながら約25分で到着。そこに個人の登攀具、荷揚げする荷物をデポする。佐藤伸也、佐藤健、半沢の3人はさらに上部キャンプへ荷揚げ、残りのメンバーはBCへとそこから分かれて行動である。 14時50分上部偵察隊が必要としている登攀用具、フィックスロープ、食料などを持ち氷河上へ。氷河は大変安定しており順調に高度を稼ぐ。佐藤伸也は先日の偵察でこの氷河上を歩いており、安全なルートを的確に進み16時40分広いコル上のC1(後にC2となる)へ到着。テントへ荷物を入れ少し休み17時10分仮C1へ。荷物のない下りは速く18時ちょうど氷河取り付きのデポ地点、18時15分仮C1に到着した。 当初アタックキャンプは2つの予定でいたが、仮C1についてはBCとの検討の結果、今後の活動をするうえで是非とも必要であると言うことになり、仮C1をC1に、C1をC2とする事とした。 8月8日 本日も荷揚げ。雲は多いが、晴れ間も見える。9時30分C1を出発。上の氷河から流れ落ちる水場は午後になると水流が増し濁ってしまうため水はその時点で汲んでおく。10時10分装備のデポ地点である氷河取り付き着。上部キャンプのメンバーと無線で相談しながら今日運ぶ荷物を選別し、11時5分出発。氷河は何度歩いても長い。黙々と3人で進む。12時55分C2着。天候は悪く時々霰が降ってくる。テントに入るのも面倒なのでろくに休憩もせず装備をおいて13時30分出発。下りは昨日以上に速く14時にはデポ地点に到着してしまった。まだ時間が早いため、若い佐藤健と半沢はもう一度荷揚げをすることとし、14時45分出発。快調にとばし、途中クレバスにキジを撃ちながら16時25分C2着。だいぶ高度にも慣れてきたようだ。16時45分C2出発、17時10分デポ地点、17時30分C1着。上部偵察隊は未踏の地でルート開拓をしておりうらやましいなとは思いつつも、それを支える荷揚げを満喫でき、それはそれで満足のできる一日であった。 8月9日 7時30分起床。気温-3℃今日も曇り空である。今日は最後の荷揚げを兼ねて、C2へ引っ越しである。 9時20分C1出発、ガレ場歩きは何度歩いても慣れない。9時50分デポ地点着。荷揚げする荷物を持ち、10時20分出発。ますますペースがあがり11時50分C2着。個人装備を置き、ルート開拓で必要な金物とロープ類食料を持ちC3へ向け12時50分出発。広い尾根の氷河上は所々ヒドゥンクレバスがあり注意しながら進む。いよいよ頂上岩壁が近くなってくると、ルート開拓している偵察隊の姿が確認できた。なかなかつらそうである。しばらくその場で休憩を兼ねながら開拓状況を確認することする。時々ガスがかり見えたり見えなかったりするが、確実にルートは延び頂稜に達したのを確認した後、我々もC3へ向かう。天候は益々悪化し、風とガスと霰。偵察隊が戻ってくるまで待っていたが、とても寒かった。本田が初めに戻ってきたので上部の様子を聞くが、下から見ているのとは違い緩やかそうに見える上部雪壁帯も危険な状態で頂稜までは気が抜けないとのこと。とは言え頂稜までフィックスロープが張られたので明日アタックできそうであることもわかった。明日は休養も考えられたが、BCとの交信で1次隊、2次隊が一気にアタックすることに決定。我々荷揚げ隊は2次アタック隊に格上げとなり、明日の7時にC3に来る事としC2へ急ぎ足出発した。暗くなってからC2着。C3は無線の調子が悪いらしく連絡が取れず、BCと明日の行程を相談、天気が良ければ問題ないだろう、しかしその夜は雪が降り明日の行動に期待と不安を感じながら就寝。 8月10日 4時起床。思ったより積雪は少なくひとまず安心。気温は-5℃、まだ真っ暗である。急いで朝食をとり、ヘッドランプの明かりをつけ5時40分出発。積雪のためトレースは半分以上消えていたが、高所に慣れてきたせいもありばてることなくC3へ。7時10分着。-5℃。C3のメンバーは半分冗談で昨日7時出発と言っていたそうで、無線が調子悪く変更がきかなかったようである。1次隊の無線が調子悪いのでは仕方ないので我々の無線と交換する。それでもちゃんと準備はしており早いに越したことはないと、茶を飲んで7時45分1次アタック隊出発。佐藤伸也、佐藤健、半沢の2次アタック隊も10分ほど遅れて出発。頂上岩壁基部で1次隊が行くのを見送りながら準備を進める。フィックスロープはあるものの、落石、落氷のため十分に間隔をあけなくてはならず、思いの外時間がかかる。8時50分佐藤健がまず出発。下部は氷壁になっており快適。声の通りが悪く出発のタイミングが難しい。佐藤伸也、半沢が後に続く。氷壁を抜けた緩斜面はまさに浮き石の宝庫で、半澤は最後とは言えロープにダメージを与えていけないため慎重に進む。10時20分しんがりの半澤が頂稜にたどり着くが、あまりの狭い稜線に思わず馬乗りになる。先の方では1次隊がルートを延ばしながら進んでいる。しかし、思った以上に難航し、我々はなすすべもなくただ待つだけである。ガスはかかっていたものの風がなく寒さが感じられなっかったことは幸いであった。また、受信専用となっていた無線も暇な時間にもてあそんでいる内突然復活し、Bcなどとの交信で時間つぶしが可能となった。 そんな状態で少しづつ前に進み、いよいよ頂上が近くなってきた頃は肉体的、精神的疲労が先にピークに達してしまった。後何ピッチ進めばよいのかわからず、尚かつ最後はフィックスロープが切れてしまい、未踏峰の難しさを味わうことができた。2時15分1次隊の歓声のようなものが聞こえた。ついに頂上に立ったのだ。長かった頂稜はもう少しで終わる、頂上に立つことよりそのことがうれしかった。3時15分2次隊も頂上に到着。ガスが多く眺望はない。1次隊と感激の握手を交わし、BCとの無線の交信、記念撮影を行い休憩もほどほどにして下山へ。雪もだいぶ腐ってきており慎重に下る。下りは登り以上にやじろべえ感覚である。フィックスロープの終点まで来ると少しは安心、ロープにさわっているだけでもだいぶバランスが安定する。頂稜から壁に移ると今度は落石の心配である。これも登り以上に気を使わなくてはいけない。ロープが揺れて石を落とすこともあり足下だけの問題ではない。何とか基部にたどり着きあとはC3まで一直線である。C3では3次アタック隊、荷揚げ隊が待っていてくれて感動の再会となった。しかし天候が悪化してきておりとても寒く、しかも暗くなり始めてしまいほどほどにして分かれる。我々2次隊はC3に泊まるため移動はなし。 夜が深まるにつれ風がものすごく強くなり、テントも浮き上がるような状態になる。1次隊の残したシュラフを使用したのだが、佐藤健の使った斎藤のものは一応羽毛であるが薄く、しかも化繊のシュラフカバーのため濡れていて、さらに風のまともに当たる場所であったためとても寝られる状態ではなかったようだ。 8月11日 8時15分起床。朝になっても幾分弱まったものの強風とガスは続き、外にでてみるとしっかりエビのしっぽがピッケルやアイゼンについていた。9時-5℃。のんびり出発の準備をし、世話になった1次隊のシュラフをザックにしまい出発。旧C3設営予定地より半澤と佐藤健が、南面正面ルートに張られたフィックスロープ回収に向かう。岩壁基部までの雪壁登りはラッセルが深く難儀した。高所順応は万全だが、相当疲れがたまっているようである。岩壁基部からフィックスロープを伝い緩斜面を登っていくとこんなところに!と言う氷瀑が現れる。こんなところで氷登りをするとは思わなかった。ルートを開いた先発隊はやはり大したものである。氷瀑を登りきると傾斜は落ちるが、それでも急な氷登りである。100メートルフィックス先端は数点のアイスピトンで固定されていたが、氷がゆるんで手でも抜けるものがあった。そこからさらに40メートル急なラッセル登りをして、その先端のハーケン2本で懸垂下降を始める。なかなかフィックスの回収も大変なものだ。 結局1時間もあればと思っていた回収は2時間程度かかってしまった。佐藤伸也と再び合流し、下山開始。今日はのんびりだ。C2では3次アタック隊と別れて下山する阿部と合流し、休んでいるうちに4次アタック隊の佐藤有、亀岡それとサポートのデュアーを迎えた。少し話をして健闘を祈り分かれる。デポ地点からC1へラーメンの注文をし、出来上がる頃C1へ。そして久々のBCへ。到着するとBCのメンバーがすべて集まってきて手厚い歓迎を受けた。現地スタッフも出迎えてくれ、感激もひとしおである。その夜はパーティーである。登頂メンバーが帰還し夕食を食べるのは今日が最初である。料理も豪華?で飾り付けがそれまでとは違った。日本の歌、ロシアの歌、日本で歌うロシア民謡などカラオケ大会になり大いに盛り上がりを見せた。 ●ビデオ撮影について 今回ビデオカメラは私とデュアーさんの2台を持ち上げました。私のビデオを見る限り、今になって見たいような肝心な場面がほとんど撮られておらずたいへんがっかりしています。なぜ、荷上げ隊の行程、氷河やがれきの上を歩く隊の姿、頂上岩壁、頂稜に取り付いているアタック隊の姿、そして頂上で喜び合っている姿が映っていないのか。いろいろとそのときの言い訳があるはずですが、今となっては後悔しか残りません。それでもなんとかプロの編集テクニックによりそれなりのビデオが出来上がり後悔はあるもののひとまず安心ております。 今回の最も失敗した点は、モンゴルの時もそうだったようにビデオ撮影に専念せず、カメラ撮影もしてしまった点です。確かにカメラは簡単で、一シーンだけとってザックにしまえばいいのですが、それに甘えて、ビデオを撮ることを忘れてしまいます。ビデオとカメラは住む世界が違いますから、ほとんど代用は出来ません。ですから、ビデオを撮ると決めたらカメラを持ってはいけないと思います。すべてビデオカメラで写すことを心がけなくてはいけません。カメラより重いですし、撮影もたいへんです。しかし、専念すれば出来ないことはありません。 今回の気が付いた点をいくつか。 1.気温 今回は気温は最低でも-10℃でした。そのときの朝方の起動時動作ストップしたことはありましたが、そのほかビデオ撮影にはほとんど影響はありませんでした。 2.撮影時間 今回ソニーのデジタルビデオカメラを新調しました。これはたいへんバッテリーの持ちが良く、また単三電池も使用可でその点心配せず撮影することが出来ました。テープも10時間分持ちましたが5時間までの撮影で終わりました。専念していればもっととれたはずです。あとの編集はたいへんになりますが、後悔しないためにはとにかく撮ることが一番です。 3.撮影方法 隊員として行動するのですから行動中の撮影は首にかけ、手で撮影するしかありません。これでは体力の消耗が激しいのですが、これも同じ、後悔しないためには撮るしかない。
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