先人の足跡を訪ねて~笹尾根

2015.01.09(金) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
5 時間 55
休憩時間
21
距離
17.0 km
のぼり / くだり
1497 / 1433 m
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活動詳細

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明治から昭和にかけての山行で名を残した英文学者の田部重治と第3代日本山岳会会長も務めた木暮理太郎。 後に東沢などを跋渉し奥秩父を世に知らしめたことは有名な話だが、この二人が共に山歩きを始めたのが、この「笹尾根」だということはあまり知られていない。 田部が野営の面白さを知ったのもこの山行だったということだ。 彼らは影信山から登り始め三頭山を目指した。 途中野営を挟み2日目に三頭山直前まで迫るも雷雨に襲われ西原村へ逃げ下っている。 その翌日、快晴の雲取山に登頂。そこから奥秩父の山々を目にし、後の奥秩父通いのきっかっけになったという。 影信山から続くこの尾根は当時樹林ではなくカヤトだったとある。 現在は植林や雑木でほとんど眺望の利くところが無いのが残念だが、100年も前の話だから異なるのは当然だろう。 私は8年ほど前、陣場山下の和田峠から連行山、生籐山などをたどって三国山までは来ているので、今回はその続きになる。 高校生で賑わう上野原駅からバスで井戸まで行き、そこから歩き始めた。 井戸集落の奥まった所に軍刀利神社の鳥居が立ち、そこをくぐって進むと数分で御社がある。 小高いところにあるその社には、大きな木製剣が奉納されており、奉納者名の中に山岳写真で有名な白旗史朗の名もあった。 さらに進むと沢に挟まれて巨大な桂の木の横に奥宮がある。登山口はその裏から始まっていた。 40分ほどで三国山到着。 道志の山々の上に富士が聳え、右手には大菩薩の連嶺が障壁のように連なって見える。その左端から顔を出しているのは赤石岳と悪沢岳ではないだろうか。 軍刀利神社の元社のあるピークなどいくつか越えて進むと熊倉山に着く。狭い頂上に山名表示とベンチが二つも設置されているが、あまり人工物は置いて欲しくないものだ。 今日の目的地は数馬峠にしている。以前、三頭山の帰りに下った峠だ。しかし、そこまで行けるかは陽の短い季節なので太陽と相談だ。 歩を進めるうちに十分踏破できると思っていた距離が、想像以上に長いことが判ってきた。しかも、50m程の瘤が次から次へと現れて、なかなか疲れる。 地図には載っていない廃道になっているような峠も幾つかあり、峠越えの交流が盛んだった頃を偲ばせてくれる。 突然、場違いな東屋が建つ峠に着くと、そこは浅間峠だった。通行の多い峠であったのだろう、ちょっとした広場になっていて、傍らには大きな御神木と古い祠が佇んでいる。 さらに進むと日原峠と書かれている所に「水場5分」と札がぶら下がっている。ルートから逸れるのは面倒だが、田部らも飲んだかもしれない水とあらば飲まないわけにはいかない。 表示通り約5分、荒れた道を下ると岩の横から勢いよく水が流れ出ている。山の水は旨い。水筒に入れて土産とすることにした。 元の道に戻り、土俵岳へ到着。この名前の由来はなんだろう。土俵があるわけでは勿論ない。 ここで初めて他の登山者と出会った。その初老の男性は笛吹から登ってきたが、陽が短いので浅間峠から下ると言っていた。私もそろそろ下る場所を決めなければならない時間になってきた。勿論ヘッドライトは持っているが、落葉に埋もれた踏み跡を探すのは暗くなってからでは困難なので、やはり陽のあるうちに下ろう。 以前、三頭山の帰りに通るつもりだったが、伐採作業の為通行止めだった笛吹への道を下ることにした。名前が良いではないか。笛吹と書いて「うずしき」と読む。土地の人以外普通は読めないだろう。 最後のピーク「丸山」で遅い昼食を摂った後、笛吹峠から下った。 最初は落葉に埋もれた判り難い道を進むが、すぐに丸山から延びている尾根に乗るようになる。 すると突然眼前が開けた。大規模伐採が行われた場所だ。 切り株が連なり、まるで墓標のようだ。 既に苗は植えられていて、数10年後には、また杉林になるのだろう。 伐採が幸いして見晴らしがとても良い。正面に御前山や大岳山など眺めながら降っていくと50分程で麓の笛吹に着いた。 集落の間の坂を下りきった所にバス停があった。

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