活動データ
タイム
15:32
距離
30.5km
のぼり
2548m
くだり
3273m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る【 3日目 】 標高2700mのヒマラヤホテルからMBCを経由してABCへ。 GPSの時間は、日本時間になっているので、ネパールの時間は表記時間からマイナス3時間15分になります。 わたしは寝坊してしまい、食事を始めた時間には、プラバットや彼のガイドらは先に出発するとのこと。「起こしていいか、迷った~」といわれましたが、道は一本道だから迷わないし、大丈夫だよと、ガイドのケシャ。ゆっくり歩いて、もし具合が悪くなったらいつでも電話しておいでと、電話番号を教えてもらう。ネパリ、優しいなぁ~ψ(´ڡ`♡) 「今日の夜はABCで会おう~」と、此処で一度、みんなとお別れ。 わたしはゆっくり食事をして、今日も元気にスタート( •̀_•́)ง♡ さーて。今日は2700mから4100mの標高まで、一気に上がります。富士山も登ったことない。今までに経験した1番高い標高は、燕岳の2800mくらい。絶対高山病になるなぁーと思っていましたが、ゆっくり登ることを意識して歩きました。「まぁ、高山病になったら仕方が無い。ヤバイと感じたら下ればいい」とお気楽に考えました。前日に泊まった宿から見えたマチャの美しさと、ポカラ行きのエアの中からみたヒマラヤが美しすぎて、それだけで結構な満足感を味わっていたのでヽ(*´з`*)ノもし、今回登れなくても、また来年来たらいい。そうだそうしよう。年に1度の長い休暇は、次回もネパールにしようと、かなりネパールが好きになっていました。 ヒマラヤホテルからMBC(マチャプチャレベースキャンプ)までは約2時間。 歩き始めると、なんだか耳がキンキンする。頭痛はないけれど、ダイビングの時のような耳抜きが上手く出来ていない感じがあって、都度耳抜きを行う。そういえばこの感じ、燕岳でもあったかもしれない。燕山荘に到着したあと、耳が詰まっているような嫌な感じがしばらく続いた。まぁ、そのうち感じなくなったから慣れたのだと思うけど。一時間ほど歩くと、背の高い木々はなくなって、荒廃した登山道になる。この道はそれほど大きい傾斜もなく、かといって見ごたえのある景色もなく、2時間かからずMBCに到着。あれ。MBCは3700mだから、ヒマラヤホテルから此処まで1000mも登ってきたんだ。息切れも疲労も感じなかったけれど、MBCのロッジで少し休憩することにした。 ロッジの中は今日の泊まり客が、すでにひしめき合っている。此処からは、ネパリたちにとっての聖なるマチャが綺麗に見える。 外で日向ぼっこするガイド。 バスケをしているポーター。 洗濯物を干しているトレッカー。 なんだかほのぼのとした風景。ついさっきABCから降りてきたっていう中国人は、アンナプルナは夜明けにちょっと見えたくらいで、すぐに雲に隠れてしまったと話す。 What....? 明日、そんなんだったらどうしよう。そっか。天気が悪くて見れないっていう可能性だってあるんだyo。 そして夜中に具合が悪くなって、下山したトレッカーもいたとのこと。うわー怖い(`Д´)富士山でも具合が悪くなる人がいるよーと聞いていたので、此処まで来て、ようやく高度順応の大切さを感じてしまう。 4000mだからと言ってナメてはイケナイのね。とは言ってもすでにMBCは富士山の山頂の高度。わーいヾ( ˘ω˘ )ゝいきなり富士山の標高を越えたよと、ちょっと嬉しかったりした。 「ABCは宿の部屋が少ないから、埋まっちゃう前に早く行った方がいいよ」 と、ロッジの方が言っていました。MBCでは一時間以上休憩。此処からABCまでは、もう登りはほとんどないよ~とのこと。 だけど!! MBCからの道。 フツーの平坦な道(と感じた)なのに、ちょっと歩いただけでちょー息切れする。 うわなにこれこれが空気薄いってことか!と実感。たった400mの標高で、ぜぃぜぃ言ってしまい、なかなか前に進まない( ̄□ ̄;)やばいこれで酸素を上手く取り込めなかったら間違いなくわたし高山病決定と思い、口すぼめ呼吸を意識してそれほどペースを落とすことなく登っていく。 やっぱり息が切れたときほど、呼吸を意識するとすごく楽。皆さんも口すぼめ呼吸、試してみてください。聞いたことがない方はググってください(*´︶`*)♡ 話はそれましたが、ABCまでの道はもう真っ白。ガスがかかって何も見えない。此処でざーっと晴れて、ぱぁぁーっと山が出迎えてくれたら最高の気分で歩けるのだけれど、わたしの行く先には派手なウェアを着た中国人の団体と、見たこともないくらいの大きなかごを背負って、超絶な速さで追い抜いていくポーターさんたち。 ちなみに団体さんを追い抜いたとき、彼らはかなり疲れていて酷い顔をしていました。途中でしゃがみこんでしまっている方もいらっしゃいました。・・・・・・彼らのガイドさんは3人くらいいたけれど、大丈夫なの~? ポーターさんに、その背中の中身は何?と聞いたら、クライミングの道具だよーと言っていたので、アンナプルナにクライムする方がいるのかもしれませんね。 2時間かからないくらいでMBCからABCに到着。3つあるロッジはすでに1つがいっぱいで、中央のロッジに宿泊することにしました。ヒマラヤホテルから上は、ロッジと部屋の数が限られるので、10月からの時期はベッドの争奪戦が予想されます。わたしが泊まったロッジは水場がなく、顔も洗えなかったので、下のロッジの外の水場を勝手に借りました。 夜ご飯は、大体みんな6時くらいに食べるので、ダイニングは大賑わい。今になって、同じロッジに今日別れたプラバットたちがいることに気が付く。 無事に到着できたねーと、みんなでハイタッチ。部屋は確保できた?と聞いたら、ケシャたちはなんとダイニングに寝るそうです。ベッドがあるだけましーとしゃべっていました。その夜、同室になったカナダ人の女子は6時半にはすでに就寝していましたが、わたしは寝付けずダイニングにいた韓国人3人のグループと仲良くなって、お喋りに興じていました。 彼らはプーンヒルを経由して7日間かけて歩いてきたとのこと。さすがに7日も山に入っていたら、山も山のご飯も飽きてきたーとしゃべっていました。その中のひとりはバックパッカーで、数カ国を経由して、ネパールに来たと。真っ黒に日焼けしていて、およそ韓国人にも見えない。年齢を聞いて、さらにびっくり。28歳。「え?本当?!もっとおっさんかと思った!!」と韓国語で言ったら、みんな爆笑する。ガイコクジンの年齢ってわからんね( ´° ³°`) 楽しくてずっと喋っていたら、「マリー,マリーミー、そろそろ寝なさい。具合悪くなるから。朝日の時間は早いよ。水はいっぱい飲んでね。」 と、ダイニングで寝ていたケシャから注意される。(なんかこの頃から、マリー、マリーミーと呼んでくるようになる(’ω’)ファッ!!?)まぁみんな、することがないから寝るのが恐ろしく早いし、7時を回ると、もう電気はすべて消されてしまうから、あたりは真っ暗。 そんなとき、ダイニングから自分の部屋へ戻ると、夜空には見たこともないような星空が~!!天の川が肉眼で見える。流れ星がそこら中を舞うように飛んでる。 すごい!! わたしひとりぼっちで宇宙にいるみたい。月がなく、空気は恐ろしく澄んでいて、視界の片隅にわずかに見える巨大な山のシルエット・・・・・・想像を絶する景色に、泣きそうになりました。(まだ山を見てないのにw) ベッドに入っても眠れませんでしたが、ようやくうとうとした頃に、耳鳴りがするほどの静寂を破ったのは、どっかの部屋のおっさんが、外で嘔吐する声でした。 「うげぇぇー。うげぇ。ゲロゲロゲロ。ビシャ・・・・・・うげぇぇー・・・・・・」 うわぁービシャっていったビシャって( ̄−ω− ̄)誰か吐いてる。でも眠い。寝よう。と思ったら、同室者も「なんか頭が痛い。気分が悪い。あなた大丈夫なの?」という。わたしは全くなんでもないし、今頭が痛いならもう寝ないほうがいいかもしれない。寝るともっと酷くなるかも。 と言ったら、わたしのヘッデンを持って、どこかに行ってしまいました。翌朝聞いたら、彼女は心配でガイドを起しに行ったと話してた。とりあえずダイニングでずっと起きていたとのこと。ダイアモックスも飲んでいたけれど、信じられないーと話していました。 わたしはその後、朝までぐっすり眠り、日の出の時間ギリギリに起床。急いで準備して夜明けのアンナプルナに会うために、外へーーー。 白い氷河に覆われた女神は、夜明け前の深い群青の中に、鎮座していました。 もう・・・・・・美しい。 これ以外の言葉が、他に浮かびませんでした。どんな言葉で表現しても、すべてが陳腐に思えるほど・・・・・・美しい。 アンナプルナー豊穣の女神ー その山の名を聞いたとき、海外で山を見るなら、まずはこの山に行こうと考えたのが去年。念願かなって、ようやくこの場所までたどり着くことが出来ました。幸せ。やっぱり、来てよかった。 【 4日目 】 今日はABCから一泊目の宿のチョムロンへ一気に下る予定。 プラバットたちは、今日はもっと先のゴレパニに行くから、途中まで一緒に降りようということになって、8時半にはABCを出発しました。ABCですごした時間はあっという間で、出来ればもう一泊したかったけれど、すべての日程を4日半でこなすのは、やっぱり厳しかった。プラバットはインドでクライミングやトレランをしているとのこと。写真も沢山見せてもらいました。わたしは、日本は水が豊かな国だから、沢登りが大好きなのよーと話して、滝を登っている写真(二口渓谷の銚子大滝50m)を見せたら、ちょー喜んでいました。 クライミングギアの呼び方も確認。 まぁ、英語だから全世界共通だよね。ってか、プラバット、金持ちだった。そりゃインドの金持ちは恐ろしいですが、ガイドをふたりも連れているんだから、やっぱりそうなのか。 実はわたし、インディアンは苦手なのよー。インドに行ったとき、強引だったり日本人だましたり、平気で嘘つくしエロいし嫌いよー。だからもうインドは行きたいと思わないわーと言ったら、笑われました。「マリーそれは嫌なヤツとしか会ったことがないからだよー。今度インドに来ることがあったら、最高の旅にしてあげるよ」と話すプラバット。 当たり前だけれど、インディアンがすべて悪い人とは限らないんだけどね。 と、此処で、モディ・コーラに迷いこんで遭難しているトレッカーを発見する。 何処から入ったのかはわからないけれど、単独のトレッカーでした。双眼鏡で覗いてみると、女子?川の流れが激しく、対岸に渡れない状態のようでした。・・・・・・こんなこともあるのですね。上流部の宿の人間に連絡を取って、助けに行くように電話をしていました。 シヌワの手前で昼ごはんを食べて、此処で彼らとはお別れ。「みんなで撮った写真、送るよー。また会おうね」と。 「次回遊びにくるときは、ポカラで飲みまくろう!マリーがナムチェに行くときには、オレを指名してー」と、しっかり自分のトレッキング会社を宣伝してくるケシャ。ばいばいーとお別れする。……ちょっと寂しい。短い時間だったけど、濃密な時間をすごせたから。 シヌワからはひとりで、一泊目にお世話になったチョムロンの宿へ。 山の朝晩は寒くて、昼は歩いているから汗ばむほど暑くて・・・・・・。た、焚き火で温まりたい病を発症していました。チョムロンまでの地獄の階段も、時間がかかったけれどなんとかクリアして。ようやくチョムロンにチェックイン。ホットシャワーを浴びてほっと一息ついた後、問題発生です( ̄□ ̄;)ヤバイ。もう帰れないかも、と思いました。 5日目に続く。
もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。