活動データ
タイム
05:29
距離
10.1km
のぼり
387m
くだり
457m
活動詳細
すべて見る小説「出雲の鷹」で「願わくば我に七難八苦を降し給え」と月に祈ったと描かれる尼子家臣 山中鹿之助。今日はかねてよりいつかは と思っていた山中鹿之助の月山富田城を青春18きっぷで訪れました。 1日目 三宮(08:10)-姫路-相生-岡山-新見-米子-安来(15:56)〜🚌〜安来市広瀬町(16:35)〜富田山荘(泊) 2日目 富田山荘-月山富田城-道の駅-新宮谷-道の駅-広瀬町内-月山富田城-富田山荘(泊) ・・・・この日の日記です 山中鹿之助・・・出雲の尼子家の再興を一身に担い、不運と挫折の連続の中でも最後まで不退転の気迫を失わなかった悲運・鉄血の武将。毛利輝元の陣へ護送される途中、備中高梁の阿井の渡しにて暗殺される 尼子家・・・一旦は月山富田城を追われた尼子家だが、若き経久が奇策により城を奪還、出雲の国主となる。経久は一代で東は播磨に至る11国を治める戦国大大名となるが、次代の晴久(孫)が、敵に通じた毛利元就の詐略に掛かり尼子家の武門の要である新宮党(経久の次男が棟梁)を奸計で滅し、没落の一途をたどる。次の義久(鹿之助の主君)の代で毛利元就に滅ぼされる。 月山富田(とだ)城・・・尼子家滅亡の後も毛利氏が、関ヶ原の後は吉尾氏が引き継ぎ、吉尾氏が松江城を築き移った後も何故か破城を免れた為、戦国時代の造りが残る稀有な城 そんな山中鹿之助と尼子家ゆかりの月山富田城は、長期の整備事業が進行中で、主要部はほぼ整備が終わった様なので、歩いてきました。午後は、新宮谷で新宮党の無念の霊を慰めた後、広瀬町内を散策し富田城経由で宿へ。この辺りは、他にも毛利氏・吉尾氏・松平氏ゆかりの遺構も多々あり、整備完了後は観光客が増えそうな予感がしますが、今のまま静かにいてほしいと我儘を言う私がいます。 私の青春18きっぷの旅は、足立美術館-萩-下関-呉と続きます。 今日もご覧いただき、ありがとうございました。
もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。