活動データ
タイム
00:50
距離
0m
のぼり
0m
くだり
0m
活動詳細
すべて見るこの日の現場は千里浜のある羽咋市。 作業場での加工仕事を終わらせ、昼イチに現場の職人にそれを届けるように家を出た。 春霞み無いのと里山海道は走っててもとても気持ちがいい。 そこで時間も早かった為 「ちょいと千里浜でも走ってみるか」となる。 千里浜とは日本で唯一波打ち際を一般車が走れるって事で、GWあたりからかなり混雑する観光地。 この時期はまだ閑散としているため気持ち良く砂浜を走る事が出来る。 が、ちょっと止まってさ~出ようとした時・・・やっちまった(>_<) ギアをバックにいれても あれ?動かねェ。 もしやサイド引いたままかと思い触った瞬間 それに気が付いた(-_-;) この状況で一度タイヤが滑ったらもうお終い。これ以上やってもアリ地獄にハマっていくだけ。。。 まさか地元民がここでハマるとは なんとも情けない(-_-) とりあえずザイルがあるので四駆車が通るのを待ってみよう。 しかしこんな時に限って中々通らないもんだ。 それから10分ほどして茨城ナンバーのセレナが止まってくれた。 これで助かった。 ザイルを掛け引っ張ってもらうが、四駆車だと思ったらFF車だった。 セレナ自身の前輪が段々埋まっていき、これ以上は無理と判断し御礼を伝えた。 止まってくれただけでもホント感謝ですm(__)m その後名古屋のハリヤーと土浦のパジェロに見事スルーされ結局JAFさんのご面倒になる事に。 現場で職人に呆れられた事は言うまでもありません(-_-) さて、夕方4時で現場仕事も終わりそのまま金沢へ帰ろうとしたがあまりに天気がいい。 今の日没時間は18時過ぎ。まだ間に合う! これは2週間前のリベンジやとばかりに、一路猿山岬へと車を走らせた。 17時半頃に娑婆捨峠駐車場に着いたが、すでに係りの方々も帰られたようで誰もいない。 登山道で4人の方とすれ違い、挨拶を交わしながら雪割草群生地へと急いだ。 すっかり陽も傾いてはいるが、2週間前には見れなかった「一面雪割草」をギリギリ眺める事が出来た。 西日のあたった水仙はなんとも温かい色で輝いている。 立木が光を遮っている場所では雪割草もほとんどしぼんでしまっていたが、 ちょうど海が見える場所に来た時、日没間近を迎えた。 いつも太陽に照らされ元気に花開く雪割草も たまには太陽を見下ろした姿ってのも悪くない。 この時間にしか見れない貴重な瞬間に立ち会う事が出来た。 僅かな時間だったが十分満足し岐路につく途中、今度はまさかの再会が待っていた。 32年前に二十歳でうちに来てそれから15年間勤めてくれたMさん。最初の5年は住み込みだったんでよく遊んでもらった。 そのMさん宅の前を通った時、ちょうど犬の散歩から帰って来たところだった。 16年ぶりの再会でしたが、懐かしむ間もなく 「今日は飲むか!うちで泊まってけ(^.^)」 やっぱりね...なんも変わってねーや(^_^;) そのまま集落から離れたおそらくこの界隈で一軒しかないと思われるお店へ。 店のおかーさんも、失礼だがその辺のおかーさんとなんら変わらない気さくな感じで落ち着くところだった。 メニューには普通になんでも載ってはいたが、ビールだけ頼んで後はおかーさんにお任せ。 「好き嫌いある?」 「まったくございません!」 旬の物を頂く時はこれに限る! その後写真の通りの郷土料理を居合わせた常連さんとで楽しく頂き盛り上がった(^.^) ここで面白かったのが次に来た常連さん。 お酒は飲まれない様だが、ニコニコと楽しい話題を振りまいてくれた。 その方がまだいる時にそろそろおひらきとなり代行を頼んだ時、店のおかーさんがこんな事を言い出した。 :「○○さん じゃ~お願いね」 :「おっけおっけ!(^^)!」 なんとこのおっちゃんと店の親父さんが代行してくれた。 先に代行ってありますかって聞いたとき、「大丈夫よ」なんて言ってはいたが... なんとも行き当たりばったりの出来事に 能登の温かさも一緒に感じる事が出来た(^.^) もちろんお金は取りませんよ。 翌朝目が覚め、なんとも立派な広い部屋に一人で寝てたんだと驚いた。 こりゃまるで殿様じゃねーか。。。 すでに朝食の準備をされてる奥様が大奥のようにも思えた。 手土産のシイタケをたっぷりと頂き、一宿一飯の御礼とまたの再会を約束して 次の場所へと向かった。 前回ここに訪れた時に見る事が出来なかった桜滝。 男滝と女滝、共にスケール自体それほど大きいものではないが、思わず”おおー!”って言う事間違いなし。 深見地区からわずか5分なので、早い時間の花開く前の猿山登るくらいなら こちらの方を先に寄られる事をおススメします。 また今回自分も初めて訪れた大本山總持寺祖院と天領黒島。 能登の歴史をゆっくりと眺めてみるのも これも悪くないと思いますよ(^.^) 最後に、この土曜はM6.9を記録した”3・25能登半島地震”からちょうど10年目の日でした。 やはり避難所生活を経験されていたMさんのお話は、我々が報道では知る事が出来ない生々しいものだった。 避難所では日が経つごとにそれこそ並んでる順番に次々とノロウイルスに感染していったとの事。 支援してくれる方々や一生懸命やってくれてる自衛隊の方々には大変申し訳ないが、 とてもそこにいられる状態ではなかったなどと話してくれた。 記憶に新しい熊本や東北、またそれ以外の地域の大きな震災等々。 歯がゆいくらい依然として復興が進んでいない所もあるでしょうが、Mさんや店の常連さんもこんな事を言っていた。 「とにかく先を見て進むしかないんや。わしら能登の田舎モンでも頑張って来たちゃ」 歩みを止めて諦めたらそれで終わり。 なぜか登山のそれと同じのような...そんな感じにも思えた今回の奥能登めぐりでした。
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