活動データ
タイム
07:40
距離
6.1km
のぼり
1132m
くだり
1134m
活動詳細
すべて見る【前年2014の登山】会社友人と2人で前日は残雪の高妻山に登り、その夜は妙高のアパ温泉リゾートに宿泊した。 翌日5/31土の早朝に糸魚川市内まで移動し、0650に雨飾温泉から登り始めた。 夏道の稜線を過ぎた雪田で道に迷い、大雪渓の急斜面を進んでいくが、友人の歩行がだいぶ遅れた。頂上で再会して復路に付く。文蔵は雪渓で余計な時間を使いたいなかった。熱中病にかかりそうな快晴の天候で、雪質はぐしゃぐしゃになったていた。そして雪渓上部をおそるおそる下山中に「行くぞ」と心に決め、その数歩先でアイゼンに雪ダンゴを作って滑落する。腐った雪に対して制動すべきピッケルは効かず、スローモーションで奈落の底に落ちるようだった。斜度は30度ほどだろうか、とても急斜面である。 20m滑って雪解けした窪地に落ちて停止した。そうでなければ、さらに雪斜面を滑っていただろう。しかし、落ちたところが悪かった。ネマガリダケが茂り、それに左足アイゼンを取られて身体が曲がった。異様なまでの左足回転を目撃する。結果は左足首の脱臼骨折で、膝を持ち上げると足はプランプランした。100%歩行困難なので雨飾温泉にケータイ連絡を取り、数十分後に新潟県警の消防防災航空隊に山岳救助を正式要請した。友人と一緒にヘリで現場から救助されたのは1650。消防本部まで空輸され、救急車に移送され、糸魚川総合病院に入院してICUで診察・緊急治療を受けることになった。 東京の整形外科に入院し、3日後に下半身麻酔でチタン製プレート・ボルト類を3か所に入れる手術を受ける。その8か月後の2月初めに抜釘手術を受けた。 【今年の登山】リベンジの単身登山となった。 5月最終週の同じ登山コースを選んだ。文蔵は滑落の恐怖心と向かい、同じ地点からスタートを切りたかったのである。そのため前日に北陸新幹線駅の黒部宇奈月温泉からRCを走らせて雨飾温泉に宿泊した。 天候は前年と同じ快晴だった。暑いものの、アイゼンでダンゴになるほどではなかった。ザンバランの冬用登山靴とアイゼンを3週間前に買って万全装備にし、高尾山、飯盛山、三原山で靴を慣らした。 文蔵はその大雪渓で若者1人に遠く先行されたが、後発の高崎Gr14人組みとは離れていた。そのため、ずーっと危険を感じながらの臆病な行程となった。 事故を起こした雪渓雪面の穴は見当たらなかった。でも、やはり転倒したら止まらいだろう、生命がないかもしれない急斜面だと肌で感じたのだ。登山の身の安全と一生を台無しにする危険は、紙一重かも知れないと思うた。2組の登山者は装備が合わなかったのか、その大雪渓を前にして登行を断念したようでした。大雪渓の下山中、さらなる恐怖に向かうだろうと考えたが、幸いにもアイゼンに雪ダンゴを作る状況ではなく、かつ、雪面に霧が沸き起こってきたのだった。 下山後の入浴をそそくさと済ませ、文蔵は黒部宇奈月温泉駅を目指していた。そこから加賀温泉方面に向かう予定で、翌日の山中温泉、山代温を行楽を決めていた。後藤文蔵は、今後も登山技術を習得していっそうの安全登山に努め、ハイキングによる心身鍛錬に頑張ろうと決める。まずは無事な登山に感謝し、これまで心配をかけてきた多くの方々に御礼を申し述べたいと思うた。 【写真の追加】2018/12/16 大分遅れての追記となって恐縮です。迷惑な話でしょうが、ここに事故・怪我の写真を掲載すれば、しばし、後藤文蔵の山の世界の続編を残せると思ったのです。どうか写真のコメントを参照してください。 脱臼骨折をし、ふたたび登山ができたことを感謝しています。(滑落事故の経緯などを詳細に文章に記録したのは、すべてメール文でした。それが今年4月にPC&outlookトラブルですべて消失したのです)
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