活動データ
タイム
05:30
距離
130.7km
のぼり
871m
くだり
937m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る本日までに岳沢小屋で働いてから色々と有りました。 こんばんわ、パワハラに耐えきれず小屋を降りました みきのすけです。 今日は地元青森に13年ぶりに帰りました。 15歳で青森から一人栃木で暮らし始めたのが最初でした。 あれから13年色々ありました、辛いことばかりでしたが今ではそのお陰で今の自分というものが出来たんだなと思っています。 家庭の事情で一人になってしまった、頼る人は居なく自分で全てを解決するしかありませんでした。 何をするにも自分で、若いというだけで苛めにもあった。 それでも必死に働いて生活できるように頑張った、生きる理由は無い、だから死んで楽になりたかったけど死ぬ勇気がないから生きていた。 そんなことを思い続けていた、栃木から段々と職を変えて福島まで移動してきた。 徐々に青森に帰る為にと思い、帰る場所が在るかも分からずに。 でもそんなとき、東北でおきた3.11の大震災。 なんでこんなときに、、 全てが終わったかとように思えた、その時勤めていた工場は天井から落ち稼働できなくなった。 住んでいたアパートもぐちゃぐちゃ、橋は崩れ、道路は地割れ、信号も稼働していない、お店は品物がなく食べるものがない、 何でこんなことばかり自分の周りで起きるんだと、 それでも死ぬ勇気はなく生きた、東北へは戻れずまた栃木に戻った。 そして月日が流れて、さらに遠くの群馬へお金を稼いで生きるため。 そしてそこでパン師匠と職場で出会った。 最初は何の接点もなく数年が過ぎた、ある日山に登っていると知り、僕は山や自然が好きだったので山に登りたいので連れていって下さいとお願いをした。 パン師匠と一緒にトレッキングシューズとザックを初めて購入、そしてその日のうちに赤城山地蔵岳へ。 それが登山を始めることができたきっかけ。 パン師匠が居なかったら山には登っていなかったと思う。 そして、ぐんまーずと出会った。 栃木でも福島でもここまでの良い人達には巡り会うことが出来なかった。 メンバーの方々がどう思っているのかは、怖くて聞けないし自分が勝手にそう言っているだけ、そう思っているだけですが。 本当の家族のような温かい場所。 親の愛情はこんな感じなのかなと思いながら一緒に登っていた。 何処かへ登りに行くとなれば進んで参加していた去年は凄い数登ったと思う。 山が好きで登るけど一緒にいたかったから、一人で居たくなかったから。 そして今年、決心し仕事を辞めパン師匠から離れ群馬からでて山登りを始めて初めて本気でやりたいと思った山小屋という職を「挑戦」。 結果はこの通り、そして下山しているときにふと思った。 青森に行こう。 それがきっかけで13年ぶりに地元へ行く事に。 13年間の止まっていた時間を、、 前に進める、進むために。 そうだ、どうせ行くならと下道を選んだ。 頑張っていけば良いことがあると信じて、 休憩なしで、下道で群馬から青森へ。 途中途中昔住んでいた栃木、福島を通る際に思い出が甦る。 よく生きていたなと、涙も出る。 そして群馬から青森まで14hと少し掛かって地元青森県八戸市に着いた。 13年という年月は色々と変わりすぎていた、ナビがないと家までの帰り道が分からなかった。 着いたのは深夜の為、すぐ行くのは諦めた。 次の日の朝にまず母親の実家へ。 家はそのままでした、そしてそこに居たのはおじいちゃんとおばあちゃん、そして姉が居た。 最初は誰だろうという感じだった、緊張した。 「お久し振りです、みきのすけです。」 相手はビックリしていた、そして怖かった。 誰ですか?そんな人うちには居ませんと言われるんじゃないかと。 でも違った、おかえりと言われた。 予想外の答えだった。 そんなものなんですかとぐんまーずの方々に聞いた。 もう嬉しかった、家があった、帰る場所があった。 母が仕事で居ないらしいのでそれまでにと父親側の実家へ行った。 家は変わっていない、そしてここでもおじいちゃんおばあちゃんがまず最初にいた。 おばあちゃん「みきくん?」 見て分かったのかすぐに名前で呼ばれた。 父親もいた、相変わらずの人だった。 父親「大きくなったな、太ったか?」 最初にそれ・・? そんなものなんですかとぐんまーずの方々に聞いた。 母親側も父親側も皆生きていて元気だった。 安心した。 帰りに父親からドローンとクライミングナイフを貰った。(要らないっていったのに) 後は母親だけ、父親の家を出て帰りを母親側の実家で待つ。 どうせならとスーパーで食材を買って僕が作った料理を食べてもらいたい。 そう思い帰ってくるまでにと、調理開始。 鯖のしょうが焼き、味噌汁、サラダ。 焦げた。。。 母親が帰ってきた、 母「おかえり、太ったね。」 そう言ってくれた、嬉しかった。太ったいらない。 太ったんじゃないんです、元々ガリガリだっただけなのに。。 そんなことどうでもいいや、今この時間を大事にしたい。 色々聞きたいことがあったのに全て聞けなかった。 原因を、攻め立てる事が出来なかった。 いつか向こうから話してくれるかな、 今はここで休みたい 疲れた。 13年間 家族は居ませんと言っていた。 これからは家族は居る。 それだけでも少しだけ何かがすっと抜けて軽くなった気がする。 しばらく青森に居た、、母親、姉、おじいちゃんおばあちゃんとの時間を過ごした。 でもいつまでもこうしていられない、進まなきゃ。 群馬へ戻ることにした、前日母親がよく昔作ってくれた焼おにぎりを準備してくれた。 当日、母親を職場まで送り、僕も群馬へ。 おじいちゃんおばあちゃんが僕が出発の際に、 「これからはいつでも帰っておいで、待っているから。」 と言ってくれた、もう大丈夫帰る場所がある。 僕「行ってきます。」 これからまた新たに新スタート。 生きる。
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